現代都市残酷物語のはじまり
バーナード・ルドフスキーは『人間のための街路』のなかで、人間の幸福はどこの国に生まれるかではなく、どこの都市に生まれるかにかかっていると書いている。実際そのとおりなのだが、日本人は、幸福はいま現に住んでいる都市とは無関係に、どこか別のところからやってくるはずだと思っているみたい。それは錯覚だから永遠に実現せず、欲求不満はつのり、苛立ちを押さえきれず、でも満足はついに訪れない。残酷な話だ。
どうしたら人間にとっていい都市ができるのか。資本主義が貫徹するところ、それが商品なら、他者との関係から、おのずと磨かれ良質なものに変わっていく。変われない商品は売れず、見捨てられるのみ。資本主義は商品を扱う人間の進化を常に促していて、満足することから人間を切り離す。これも残酷な話だが、しかし、残念ながらというべきか、当然というべきか、資本主義は自己の活動の場としてのみ都市の進化を促すが、人間の幸福を担う都市は関心の外にある。
人間の都市をつくるのは、自己と他者との関係ではなく、自分の現実を自分のこととして見つめる視点のみ。現実の徹底した反省だけが都市を人間の都市に変える力を持っていて、そうした力を持つ反省は哲学と呼ばれる。
さあ、いそがしい日常をいったん離れて、都市の現実を徹底して反省する作業を始めよう、できるだけ具体的な日常的な事例に即して、だれもが共有できる実感をベースにして。都市の哲学は哲学ではあっても、神棚に祭っておくような哲学ではない。具体的な現実を普通にとらえる感性の奥に確かにあるものであって、皆がそこに気づき解放さえすれば、都市は確実に変化するのだ。
ここでのその作業は現代都市残酷物語と名付けられる。それはわが国の現代都市の残酷さを明らかにする作業にほかならないから。どこまでやりおおせられるか、読者の叱咤激励を切にお願いする次第。
小樽編/駅前広場 1
話をはじめる前に、小樽の方はとうからご存知のはずだが、小樽駅前広場の状況を確認しておきたい(左のサムネールをクリックすると拡大画像が現われます、右クリックで別窓で開くこともできます、以下同様)。駅に向かって右側の高台から撮った写真で、右にJR駅舎、左に港が開ける。駅を出ると、右側にバス・ターミナルが、左側にタクシー・スペースとその奥に市営駐車場があり、歩行者は左右方向の外縁部を行くか、真っすぐ行く場合には、信号機にしたがっておよそ2m幅の横断歩道を渡ることになる。まあ取りあえずこんな状況です。
小樽の玄関、小樽駅前広場、そこが今どうなっているか。といっても、どう見るかが第一の問題で、ここはもちろん歩く人間の立場から。この時代だからこそ、最重要の視点であるのは説明不要と思うが、納得のいかない人には別の機会に説明させてもらう。さて駅を降り立つとこんな景色が開けてきて、右に行くか、左に行くか、それとも真っすぐ行くか、特別な用事がなければ、とりあえず真っすぐ行くのがナチュラルな選択だ。人間のナチュラルな行為をそうと認めることはとても大切、都市を人間のものにする最大の要素なのだが、その理由を元から説明するとなるとかなり哲学的になっちゃうので、ここではやらない。
駅から港の方へ真っすぐ行きたい——これがまさしく人間的な選択であることを忘れないでね——という希望は、しかしこんなかたちでしか実現されていない。小樽駅前広場が全国初の第1種都市再開発事業として拡張整備されてから、およそ四半世紀にわって続いてきた状況だ。オー・マイ・ゴッド!と僕は叫んでしまう。(それにしても、この柱群はなんとかならないものだろうか。案内板も置くべき場所を取り違えているように思う。)
この状況を反対側から眺めるとこうなる。まさに一本の細い糸のような危うい場所を歩かされているわけで、小樽に生きる僕らの希望が風前の灯火状態に放置されていることを象徴している。駅を降り立ったらまずその町の雰囲気を味わうというのが人間的な行為のはずだが、自動車に脅されながらただひたすら渡りきることに専念するという人間離れした行為を平然とこなす人びと、ここは戦地なのか。革命が起きたって不思議じゃないのに。
行きたいところへ迂回せず、まっすぐ行きたいというのは人間の自然な欲求だ。いやすべての生き物の行動をつかさどっている本能であり、さらにはすべての物理現象を説明する原理でもあって、この本能と原理で世界は動いている。こうして動いている世界に人間の理性が介在する余地がどこにあるのか、それは自然現象のように見える現実を人間の環境として捉える時だ。本当のところ、わが国のすべての交通計画と呼ばれているものは、環境という視点を欠いていて、人間の本能を満足させるものでしかないから、計画と呼ばれるに値しない。どなたも自覚していませんがね。おっと話がずれちゃった。この自然な欲求はどこにでもあって、駅に向かう人たち、この写真では左側からやって来る人たちは、堂々と自動車スペースを横断して近道をし、革命を実践してしまっている。
革命の状況をもう一枚。この日は急に雨が降り出しちゃって、学生さんたちは時間も迫っていたんでしょう、傘を差しながら横断禁止地帯を渡って駅に向かっています。自分は歳だから急がば回れ式にしているが、時と場合によっては同じことをするかもしれない(実はしょっちゅうやっている)。これを向こう見ずな若者たちの横暴とみるか、僕は正直かわいそうな状況が出現しているんだと思う。誰も好き好んでしているんじゃない。第一まったく楽しくない!
写真は一休みして、ありうべき革命がなし崩し的に不完全なかたちで起きている状況を考えてみたい。ルールを守らないというのは人間を忘れた悲しい言い訳だ。端的に言えば、駅前広場計画が人間を知らなかったために破綻しているということ。破綻の意味は、人間の本性に従うと、危なっかしいと同時に、気持ちが悪くなってしまう状況が日常繰り返されて起きているということ。都市生活に限らず、僕にはこれ以上の問題はないように思える。その重要性は地球環境も構造改革も及ばない。民間なら責任問題だが、どうしてだかこの責任は誰も取ろうとしないし、取らなくても平然と時が過ぎてゆく。責任者が首を切られたって、また改造に金がかかるというなら、責任部局の職員の賃金を半分にして実行したって不思議じゃないのに。明らかに人類は、すくなくとも日本人は発展途上にいる。
小樽編/駅前広場 2
広場が狭いからこうなっちゃうんだと考える人もいるかもしれない。狭いか広いか論議する前に、状況をきちんと把握しておこう。まずこの写真。すでにご覧いただいている駅出入り口正面だ。左はタクシー、右はバスのスペースとして機能しているが、真ん中が空白地帯になっていて、駅出入り口の正面という一番大切な場所が違法駐車の自動車で占領されている。おおい一体どうしたんだ、と神様が上空からあきれて見ているのは間違いないところ。写真から左にはずれたところに駐車禁止の札(これが汚いんですよね、前項の5番目に写ってます)があるが、管理するJRも手に負えないみたい。
これをどう捉えるか。違法に駐車する車が悪いんだと単純に言えない。それで済むなら話は簡単だし、実際のところ済んでいない。車は空いている場所に自然に流れ込んでくるという、素朴な、しかし自動車を扱う際の根幹に据えられるべき定理が、必然的に実現されていると捉えなければならないのだ。この定理を忘れたら、どうやっても自動車の呪縛から逃れられないのだが、遺憾ながらそれがわが国の現状だ。結局ここは空いているということ。しかも駅前広場で一番大切な場所、神様じゃなくたって、冷静に見ることができるなら、どうしてこのまま放置しておくんだと皆が叫んでおかしくないのだ。
自動車を扱う際の根幹に据えられるべき定理が駅前広場で実現しているもうひとつの例。ここは駅を出て右に行った端のところ、バスの回転路になっている。手前円柱には駐車禁止の標識が付けられているが(裏が見えています)、すぐそばの小樽警察所小樽駅前交番にきいたところ、全部を取り締まるのは無理とのこと。そうでしょう。結局、バスの回転路にしては余裕がありすぎるということ、その余裕を見つけて車が入り込んでいる、ただそれだけなんですね。
問題点噴出ということで駅前広場の方向性がかなり明確になってきていますが、全体を捉えるにはまだまだ。この写真なんだと思います。小樽の人は知ってるから知ってるだけで、知らない人はわからないだろうと思う。駅を出て左手奥にある市営駐車場の事務所があるところ。駅側から見た映像は、前項5番目の写真に写ってます。掘っ立て小屋に物置や自動販売機らがついているだけにしか見えない? そのとおり。小樽の玄関となる場所に置いてはならないものだと思う。駐車場があるから事務所が必要なのだと済ましてもいられない。そもそも自動車についての基本定理に立ち返るなら、駅前広場に一般車両の駐車場を置くことは、そこにさらなる自動車の集中を呼び起こすということになる。バスやタクシーの利便性が劣るというところじゃないんだから、掘っ立て小屋に関係なく、駐車場の廃止に向かうのは道理にかなっている。都市の品性と見識が問われているのだ。
上記の事務所、その上に立つ広告塔、さらに希望と彫られた記念碑がここの話題になる。左にJR駅舎があり、この辺はその正面の位置にあたる。駐車場の事務所が掘っ立て小屋以外の形容がむずかしいことが理解してもらえるだろう(そこで働いている人をけなしているわけではまったくありません)。その上にそそり立つ小樽市所有の広告塔、こうすれば効果的だろうと考えた時代もあったが、明らかに過去の遺物。そうと思っていないなら重症だ。僕なら、これで宣伝されている場所なり産物を敬遠したくなる。あらゆる観点からすみやかに撤去してほしい。
次いで希望の記念碑だ。1976年の駅広整備時に建立されたというが、僕らの希望をずっと象徴しつづけてきたのか——見捨てられた希望として——。誰からも見放されたままなのは、記念碑としてすばらしいかどうかとは別に、悲しいことだと思う。ケチを付けられたって、見られてなんぼのものだろう。駅の正面、あるべき場所にあるんだから、問題は人間がどこにいるかであって、結局人間のいる場所がないから人間がいない、だから見られない、ただそれだけのこと。しかし僕はやっぱり悲しい。
*「希望の記念碑」は2008年2月時点で上記地点には存在しない。その顛末を記す。2002年10月、通行者より表面石剥落危険性の報知。2003年2月、解体・保管。2005年11月、寄贈主ライオンズクラブより復元の要望。2006年4月19日、小樽築港駅前広場に再建。元場所に再建しなかったのは、2003年頃から市役所内部に小樽駅前広場の改造計画があったため。しかし、その駅広改造計画は2008年時点で立ち消えになってしまっている!とのこと。以上の内容は小樽市建設部用地管理課から聴取したものです。
問題の最後はこの写真。どこかどう問題なのか、ともかく場所は駅を出て左にずっと行って、国道とぶつかるところ。角は隅切りになっているが、細長い土地が邪魔をして段差が付いていて、おまけにそこに設置された看板と自動販売機が建物を隠している。僕には衝撃的な映像に思える。都市という場所が建物によって、建物の壁に仕切られて立ち現れている、これが都市の真実体にほかならないのだが、写真はまさに反都市的状況そのものであり、それが放置されている事実に衝撃を受けるのだ。小樽市役所の関係部局に聞いたところ、駅前広場整備時期に隅切り状に都市計画の線を入れたものの、一部土地所有者の了解が得られず、いまだ事業が完了していないとのこと。しかしそれはそれ、これはこれ。土地所有者のやり方よりも、都市計画を決め、駅広全体を管理運営する側の責任の問題だ。何としても正常な状態を早急に回復しなければならない。(都市計画決定の法的意味を説明しておこう。都市計画といえば聞こえはいいが、結局それは権力の行使としてあること、ここが肝要な点。計画線が引かれると、用地が未処理、つまり道路用地に帰属せず私所有のままでも、一定規模以上の建物は計画線を越えて建築できない。逆に2階以下の鉄骨造程度の建物、看板等は規制を受けない。したがって事業が完了していない場合、今回のような事態が出現する。)
ここらで問題点を整理しておこう。歩行者とともに、景観が俎上に上がっている。実のところこのふたつは一体の問題なのだ。人間に見られない景観ってありますか、ありえない。人間がいる、と、そこが人間の場所になる、そうすると人間の場所の有り様が問題になる、こういう順序の関係になっていて、景観とはその場所の有り様のことなんですね。人間を忘れた景観が無意味なのはもとより、人間の場所が出来るなら、おのずとそこの景観が問題になるのはよく理解できるはず、皆さん自分の家のことでは一生懸命やってますよね。このとき一番大切なことはなんでしょう。自分の家に置き換えてみれば明らかなように、いい部屋をつくること、これが地球環境や構造改革より重要性において劣ると考える人いますか。都市を主題にするなら、都市に人間のいい場所をつくること、都市のすべての問題はここに収斂する。都市の語り手の唯一の有資格者であるバーナード・ルドフスキーは『人間のための街路』のなかで次のように書いている。
「街路は母体である。都市の部屋であり、豊かな土壌であり、また養育の場でもある。そしてその生存能力は、人びとのヒューマニティに依存しているのとおなじくらい周囲の建物にも依存している。」
街路の膨れたのが広場、だから広場と街路はおなじもの。交通広場とはいえ、というより交通広場だからこそ、ルドフスキーの言葉を忘れたら都市は死んでしまう。
小樽編/駅前広場 3
駅前広場の現状についていろいろケチをつけたが、ケチをつけたままで止めるのはフェアじゃない。自分の考えを一方的に表明して喜んでいられるほど若くはないけれども、今後の議論のたたき台なったらうれしいということで、ここで自分なりの駅前広場の方向性を提示しておく。左のサムネールをクリックして駅前広場改造計画私案をご覧いただきたい。
●ともかく駅出入り口から運河の方向に、駅前通り(中央通り)を舐めるように舌を出すかたちで歩行者地帯を広げる、これが改造計画の根本原理だ。こうした原理をデザインストラクチャともいうが、デザインストラクチャは都市と人間の関係から導かれるもので、単なる思いつきなんかではない。
●駅出入り口から舌状に拡がる歩行者地帯を「広場」と呼ぶ。そうすると駅からが港の方に伸びる「広場」先端中央に「希望」の文字が印された記念碑が位置することになって、記念碑ははじめて記念碑の地位を与えられることになる。「広場」の幅はどれくらいか、左右の交通広場の設計ともからんでくるが、できるだけ大きくとりたい。小樽駅前広場の核となるものだから。ここはまさに人間と人間の交通の場所になって、交通広場の核としてふさわしい働きをするだろう。様々なオブジェクト、樹木、池、ベンチ、照明装置等、この場所に配置される物が検討されるだろうが、このとき利用者たる市民の賛同と了解を得て進めなければ、その意味は半減する。
●「広場」は駅に集まる人間の交流の場であると同時に、駅を起点・終点とする歩行者の主要な動線をさばく場所になる。こうした場所の必要性はすでに説明されているから、どのような形態のものであれ、「広場」は必ずなくてはならない。
●「広場」の両側は現状を踏襲して、駅を背後に右にバス・ターミナル、左にタクシー・スペースを置く。駅広の現状に余剰スペースがあることは説明したし、タクシー・スペース奥の一般車両用の駐車場は廃止したいから、「広場」をつくることは十分に可能だろう。というより、「広場」をデザインストラクチャに置くとは、「広場」を成り立たせるための諸条件として他の物事を律するということ。まさにその必要性が問われることになるのだが、自動車からの要求という人間の本能に身を任せているうちは見えてこない。それは本能ではなく哲学なのであり、哲学が「広場」を生み出すのだ。
●現状の市営駐車場は廃止する。理由の第一は、その設置が交通混雑を引き起こす元凶になるから、第二は景観上の問題が避けられないから、第三は土地利用としてはなはなはだ非効率だから。したがって、こうした駐車場を希少な駅前広場に設置することは認めがたいということになる。第一の理由は自動車についての基本定理から導かれる結論で、誰も変更できない。第二の理由について、現状はすでにご紹介したが、本質的に自動車は都市にマッチしない物だから、どうやっても景観の問題は解消できない(地下につくれば別だが)。自動車を利用したがる人間が、本当に人間の都市をかたちづくろうとするなら、自動車利用をあがめるのではなく(だから僕などは小樽市はトヨタの手先かなんて思うちゃうわけ)、自動車利用とどう折り合いをつけるのかが必須の課題にならなければならないのだ。その課題に直面しない都市は、したがって人間の都市にはなり得ない。第三の理由は、どうしてか話題にのぼらないが、小樽にはそれほど土地がたっぷり余ってるということなのか。そうじゃないのは明らかだから、ただ自動車の中で幻想とたわむれているだけじゃないのか。よくご覧なさい。公共の土地の利用方法として、ただそこに自動車を置くことほど非効率的な方法はない。
というわけで僕は、ご覧いただいているはずの駅前広場計画を提案する。もちろん異論大歓迎、ご意見のあるかたはぜひとも下記に連絡下され。
ttamura@gairo.net
どうしても追記しておかなければならないこと。もし、駅前広場がこんな風に改造されたら、駅正面の眺望をふさぐ歩道橋が景観構成上の大問題として取り上げられることになるだろう。今は、場所を楽しむゆとりを奪われて、ひたすら渡りきることに専念させられているから問題にならないだけ。この点についてはいずれ大々的に取り上げよう。
小樽編/奇妙な光景 1
ともかくこの写真を開いてご覧いただきたい。場所はJR小樽駅から少し札幌寄りの国道5号線、その交差点の歩道部分、奥左手に小樽駅、右側に国道が開け、左の民有地にはピルが建っている。ここには横断歩道橋があって、その階段がこの歩道に取りついているが、見てのとおりアスファルト敷きの上に国道との境界が黄線で表示され、民地側には白字で「私有地に付き通り抜けを禁ず」と書かれてある。運動会じゃないんだから、皆が歩くところに線を引いたり、文字を書いたりするなよなと取りあえず僕は言っちゃうわけだが、おっと、地主さんにケチをつけているんじゃありません。道路を管理しているお役人さん達のやり方のパロディーでしょう。でもよく見ると茶化して済ませるような状況じゃない、というか、ここに今までの道路行政のつけが噴出している。
手前の階段は一部しか写っていないが、奥に見えるように、階段の台座部分と民地の間は50センチ位しかない。民地側の境界に塀やら、花壇やらが出来たらどうするのか。歩行者はその危うい間を通り抜けろというのか。冗談じゃない、ここは国道だ。国道の意味合いは自動車にとっても歩行者にとっても同じだろう。そこに塀も花壇もつくらず、何があったか知らないが、地面にペンキ塗りで済ましている地主さんに、僕は都市生活者の良心を感じる。
管理する立場の国土交通省小樽開発建設部小樽道路事務所に聞いてみた。歩道橋の設置時に歩道の不足分を道路用地として買収しようとしたが了解を得られず、その分、建物のピロティ(1階の凹んだところ)を歩行者用に使わせてもらう旨の文書を地主側と取り交わしたが、最近になって地主側は歩道橋の撤去を要求してきて折り合いが悪くなり、こうした事態になったという。こんな説明で、ああそうですかと済ますわけには、もちろんいかない。本当にそうなら、国土交通省のお人好しぶりにあきれてしまう。法律に基づいて国土の交通をつかさどる機関としてはまったくふさわしくない。全員といいたいところだが、少なくとも責任者には辞めてもらおう。
歩道橋がすばらしい働きをするのだとしても、歩道用地の不足が解消されないうちは設置してはならない。なぜなら歩行を阻害する場所は道路とはいえないから。その不足の解消を、どんな文書か知らないが、法的な裏づけを欠いた一時しのぎで済ますとは、その無責任さはすごい。取り交わした文書に法的な裏づけがあるなら、法律に基づいて、この恥ずべき事態を早急に解決すべきだ。今後の対応をたずねたら、用地の買収を再考しているとのこと、取り交わした文書の有効性を自ら否定しているわけだ。(用地を買収すると建物の2階以上が境界からはみ出して、国自らが違法建築を誘導することになってしまうが、この点は答えてくれなかった)。ここではっきり浮かび上がってくるだろう。これまでいかに国は歩行者をぞんざいに扱ってきたかが。
以上の話は歩道橋がすばらしい働きをすると前提してのこと。じゃ歩道橋って一体何だ。確かに輻輳する都市交通を処理する上での先進的な施設と見られた時期があった。あちこちでつくられ、こんなものだと観念して僕らはそれを利用してきた。しかし多くの経験を重ねてきて、歩道橋は別物に見えてきた。要するに、自動車の邪魔にならないよう階段を登って上を歩きなさいと歩行者に強要する施設、それが歩道橋なのだ。これまでどれほどお年寄りや身体障害者を痛めつけてきたことか。都市の住人が共有する唯一の場所を蹂躙する極悪非道の犯罪的施設といって過言でない。それを税金でつくり管理してきたとは、僕らはなんと無駄なことをしてきたのか。今、気づくことが大切だ。そうして人間は進化するのだ。
歩道橋の問題はこれで済まない。景観が情緒的にしか扱われていないのがわが国の現状だが、本当はそんなものじゃないのはこのコーナーで書いたとおり、それは人間の生き様に直結している。都市景観とは街路景観である。これは何人も動かすことのできない定理なのだが(その証明に僕は本を書いた)、都市を運営する側でさえ十分に認識していない現状を非常に遺憾に思う。街路景観が都市景観にほかならないと気づけば、歩道橋が都市景観にどのような働きをするかは説明不要だろう。都市景観を破壊する元凶にほかならないわけだ。景観は人間の直感が捉えるものだから本当のところ理屈はいらないのだが、今のところ話題にならないのは、たんに景観を景観として認識できる場所に歩行者がいないということの帰結にすぎない。なんたることか!
この話はまだ続く。建物所有者にしてみれば、こっちの方が死活問題かもしれない。またまた左の写真を開いてご覧いただきたい。同じ場所を先程とは反対側から眺めたもの。敷地境界が迫っているのがよくわかりますね。そしてだれも黄線の外側、つまり本来の歩道を歩いてはいません。無理なんですから。でもここで見てほしいのは、このあたりの陰鬱な雰囲気。たまに通っても気持ちが悪くなる。おそらく無理してつくったんでしょう、一階が凹んでいることも一因、しかしその大本は建物前面にそそり立つ歩道橋だ。建物の正面を覆ってそこを暗くしている。一階で商売するのは大変だと思う。想像するに、ピロティを(無理に)つくって歩道橋設置に協力したものの、テナントがうまく入らないことに業を煮やして歩道橋撤去の要求に出た、というのが真相ではなかろうか。だとすれば実に真っ当な要求だと思う。国に損害賠償を請求してもおかしくない。
僕の結論。あらゆる観点から歩道橋の即刻撤去だ。そして平面上に横断歩道を設置する。他の3方向がそうなっているのだから問題はないはずだし、右折等の問題は信号機の管理で対応できるはずだ。これができるかどうか、道路環境を改善する積極的な対応とはいえないが、僕は今後の道路行政を占う試金石だと思っている。国土交通省小樽開発建設部小樽道路事務所のなかにも撤去派がいるようだが、組織的に動けないらしい、情けないことだが。となれば市民の声をぶつけるしかないと思うが、どうだろう。
小樽編/奇妙な光景 2
話は変わって、ここは小樽築港駅の再開発地域、マイカル小樽のあるところ。普通の光景にしか見えない? 実はそのことが本当は一番奇妙なんですがね。公費の支出に関して問題になった地域だが、そのこととは別に開発全体として本質的な疑問点を抱えている。しかし今は、真実は細部に宿るということで、この一見何気ない光景にこだわってみたい。
ここにはバス停留所があって、バスの停車のために歩道が削られている。これを当然と考えるかどうか。停車するバスが自動車の流れを阻害するのを防ぎたい、そのためには停車するバスを歩道側に押し込めれば良い、したがって歩道をその分削る。この三段論法は子供にもわかるほどだが、じゃおなじ論法を歩行者にあてはめたらどうなるか。念のために書いておく。バスの乗降客が歩行者の流れを阻害するのを防ぎたい、そのためには乗降客を車道側に押し込めれば良い、したがって車道をその分削る。こちらは今のところ実現した試しはないが、分かりやすいのはおなじ。どちらも本能に訴えるから分かりやすい。しかし自動車と歩行者、その一方に立脚した論法 ——本能に訴える実に分かりやすい論法は、正反対の結論を導出する。実のところ、ここが本来の計画のスタート地点になる。輻輳する本能的な要求にどう折り合いをつけるのか、そこに理性の働きが求められ、理性のうながしにしたがって物事の解決を図ってゆく、これが時間と金を費やして作成するに値する計画だ。理性という言葉に違和感を覚えるひとは、それを「道理や理屈を判断する能力」と置き換えて読んでください。
だからここには計画はなかった。満足することから見放された(ということは、本当は地獄の苦しみにあえいでいる)自動車の欲求に身を任せただけのもの。小樽市だけじゃなく、国をはじめとして日本中がトヨタの手先に成り下がっている構図は、奇妙の域をはるかに越えている。それではバス停のところは実際どうすればいいの? 街路の利用者を等しく考量すれば、歩道も車道も削ってはならないということです。
この話はこれで止めてもいいんですが、お役人にはお人好しが多くて勘違いされたら困るから追加しておく。ここの街区には再開発地区計画で壁面線の指定がなされていて、道路境界から2mの間には建物を建てられない。市役所の担当者にきいたら、このことが削られた歩道の不足分の埋め合わせになっているということらしい。地区計画で壁面線が指定されると建築確認の条件になって、壁面線を越えて建築することは事実上できない。しかし土地の所有関係はそのままだから、壁面線と道路の間をどう利用するかは所有者の自由で、花壇をつくろうと柵をつくろうと旗を立てようと、誰も制約できない。この写真なんかは実際そうなっていて、歩行が妨げられることおびただしい。市にこの現実を指摘すると、でも建物(市場)側は玄関部分をバスの待合所に提供してくれているんです、などと説明する。お人好しなんだな市役所の人は。商店なら人を呼び込みたいのは当然だろう。それはそれ、これはこれ。道路の話は道路で完結させる、これが税金を使ってするあなた方の本来の仕事じゃないのか。
小樽築港再開発の本質的な疑問点は上の些細とも思われる事実ににじみ出ている。本来の計画を放棄して、フラストレーションのかたまりのような自動車とたわむれてみせたというのが、その構図だ。既存の都市に内在する矛盾を解決しようとする姿勢は微塵も見られないし、環境も歩行者もここでは死語なのだ。既存の都市が抱える問題をさらに増幅させるような開発に税金を投入するのは、もはや犯罪的行為と言って過言でない。だから一私企業のための再開発といわれてもしょうがないのだ。僕はすべての自動車利用を廃止せよとは言っていない。少なくともこの場所で再開発をするなら、自動車の利便性を確保せずしてありえないのは明白だ。自動車の利便性と人間都市の構築をどう両立させるか、ここに計画の主題はあるべきだったのだし、その実現ためにこそ民間の開発意欲を利用すべきだったのだ。逆に市が民間に利用されてしまった。恐ろしい程にお人好しなんだ、市役所の皆さんは。
僕の意見が商業活動を抑制するものだと思われたら困るから、きちんと説明しておく。都市の究極の課題は、都市に人間のいい場所をつくること。いい場所だからそこに人間が集まり、相互に刺激し合って人間の活動が活発になる、とすると自然と商業活動も盛んになるという関係になっている。これが絵空事だという人は、このサイトの最初「ヨーロッパ街路見聞録1982」をきちんと読んでもらいたい。僕は実例をもとに言っている。それより、これだけ自動車交通に配慮しているわが国が、不況から脱出できないのはどうしてなんだ。マイカル小樽だっていつまで持つかなんて噂されている。みんなで楽しいこと考えようよ。
小樽編/堺町通り
ここは小樽を訪れてくださった方なら一度は通ったはずの運河沿いの観光スポット、堺町通り。以前は歩道なしの対面交通だったが、観光地としてにぎわってくるにつれて混雑度が進行、歩道の整備が急がれたものの、道路幅が狭く対面交通のままでは歩道が取れないため、一方通行に変更して1999年に歩道を整備した(以上は小樽市土木部道路建設課の説明)。というわけで現在の状況はどうなんでしょう。それなりの歩道があり、それなりの建物が連なり、それなりの街灯があり、いつもの電柱があって、フツーの光景が開けてると見なすのがいいところでしょうか。不思議なんですよね。こうした道路の場合、別の国の都市では、これじゃいけないんだと真剣に状況を捉えて、多くの啓蒙活動とともに実験を重ね、市民の意向を調査し、様々な工夫をこらしたすえに歩行者専用道路に変えているんですから。
歩道にはみ出るほどの歩行者がいる一方で、タクシーやバスやトラックといったプロの自動車に混じってアマチュアの自動車が物欲しそうな顔をぶら下げて車道を埋め尽くしている。なんでこうなるのと僕は叫んでしまう。僕の叫びにあきれる人がいたら、ききたい。ここはどういう場所ですか。建物に陳列された魅力的な商品を見物し購入し、またそこで展開される魅力的な活動を楽しむという、人間のひとつのしかし不可欠の喜びを享受するうえでの、まさに骨格となっている場所じゃないですか。骨格とは、街路に沿ってはじめて建物は建物として機能しているというのがその第一の意味。でも街路の働きはそこに留まらない。
ルドフスキーは書いている。「街路は母体である。都市の部屋であり、豊かな土壌であり、また養育の場でもある。そしてその生存能力は、人びとのヒューマニティに依存しているのとおなじくらい周囲の建物にも依存している。」街路が都市生活者にとって豊かな土壌であり養育の場だというなら、街路こそ都市生活者に与えられた最高の祝福ではないのか。街路は都市生活者が真の意味で共有するただひとつの場所、だから都市に部屋があるならそれは街路以外にありえないのだが、放っておいてそうなるわけではなく、ヒューマニティと周囲の建物次第だとルドフスキーは説明する。都市を人間の環境として見ることができるかどうか、街路空間をかたちづくる建物の連携がうまくいっているかどうかが鍵だというのだ。
堺町通りに面するお店に入って商品を眺めるのは楽しいでしょう、おそらく。しかし堺町通りに例えば50軒の店があるとするなら、その50倍の楽しみを一挙に味わえる市民共有の場所がいま現にあるのに、自動車に蹂躙されてしまっている、としか僕には見えない。何たる人生の損失か! この状況を放置している、というより積極的に維持している市の責任は、本来なら極めて大きいのだが、誰からも問われないのが小樽に限らず日本の現状だ。道路を自動車交通の器としか見ない時代は過去のもの、そうしているうちは早晩、都市は滅亡する。現に死にかけている。街路の再生なくして都市の再生なし。市はできるだけ早く堺町通りの歩行者専用道路化を検討すべきだ。
と僕がいくら叫んでも、むなしく拡散していくだけ。このまま終わるのはしゃくだからというわけでもないが、堺町通りに山積している問題の中からひとつだけ具体的な点を取り上げる。上の写真にも写っていたが、この電柱群だ。北電やNTTはもうかっているらしいが、都市の部屋たる場所に置いてはならないものを放置したままで社会的責任を果たしているとは到底いえない。もちろん第一の責任は道路を管理する立場の者が負うべきもの。道路に電柱を立てることを許可しているのは彼らなのだから。と話を進めるにあたって、電線地中化の必要性について小樽市土木部道路建設課からまとまった話をうかがったので、ここでご紹介しよう。
その必要性は以下の3点に集約される。(1)災害時の安全上、(2)交通安全上、(3)景観形成上。(1)は地震時に電柱が倒壊し周囲に損害を与える危険性があるから、(2)は歩行者、自動車双方にとって電柱は交通の障害になる可能性があるから、(3)は景観形成を図るうえで電柱は阻害要因になるから。僕はなるほどと思った。僕のもっぱらの関心は(3)だったが、いわれてみれば(1)も(2)もそうだ。さすが専門部局はきちんと把握してらっしゃる。なら電線の地中化を早くやりなさいよと言っちゃわけだが、それはまた別の話らしい。(1)は数十年に一度あるかないか、(2)は確かに電柱にぶつかる自動車はたまにいるみたいだが、歩行者が電柱でけがをしたというのはあまり聞かないから、その程度の頻度の問題、(3)はいつも常に今もという問題、ということで必要性にランクを付けれは逆順になるみたい。ともかく電線の地中化は時系列のすべてにおいて求められているわけだから、国や道の後を追うのではなく、市道の方が圧倒的に多いのだし、市は自らの問題として取り組んでほしい。
林立する電柱を景観形成上のいかなる問題として認識しているか、小樽市の担当部局である都市環境デザイン課にきいてみた。堺町通りに限定して、景観上の問題点を列挙してもらったが、電柱はついに上がらずじまい。ああ! 単に忘れたのかもしれないが、あるものはあるもんだと思ってしまう錯覚から脱却しなければ景観づくりはできない。錯覚だというのは、電柱に例を取ると、もともと電柱があった状況で今も電柱があることの意味と、なかった状況に新に電柱が出現した意味はまったく違うといういうこと。現に今あるのは同じだが、その意味がまったく違ってくるかもしれない、この辺の想像力なくして景観の問題を扱うことはできない。だから電柱を取り去ったイメージ図を作って比較してみてはと市の担当者に提案したが、いつやってくれるか心もとないので、ここで僕がやってしまうのだ。この項の最初の写真に手を入れ電柱・電線類を消してみたのが左の写真。どっちがどうなのか、判断は読者にお任せする。堺町通りについては歩行者専用道路化が本質的な課題だが、電柱の地中化を進めて早すぎるということはありえない。
札幌編/歩行者天国
歩行者天国、ずいぶん昔に流行った言葉のような気がする。一体だれが考えたか、でもそこに込められた実感はいまも違和感なく共有できる。街路の日常が歩行者にとって苦難の場所であり、まったく楽しくない場所になっている、だから、毎日は無理だけれど、特別な日に歩行者の苦難を取り除いて、街路を楽しい場所にしようという発想でしょう。ナイーブといえば確かにそう、しかし善意からの発想であることは理解できる。本当の問題は、街路での歩行者の苦難を取り除くこと求められているなら、それを誰がどのような責任のもとに為すべきかにあるのに、そこが全然論じられないまま20年近くたっちゃった。あーあ、日本人はお人好しなんだなあ。
札幌でも1973年から毎年夏の土日に歩行者天国が行われていて、札幌での名称は「札幌プロムナード」。実態はどこでも同じ、街路の一定区間で自動車の流入を止め、そこを一時的に歩行者専用道路にする。「札幌プロムナード」の主催というか運営主体は都心部の商店街振興組合で、その商店街振興組合にきいたら、東京の銀座から流行りはじめた歩行者天国を札幌でもというような発想だったらしい(東京の方はどうなったのか)。「札幌プロムナード」の実行にあたって、街路の歩行者専用道路化とともに各種のイベントを企画、札幌市からの補助金と北海道警察の協力を得て行っている。一種のお祭りのようなとらえ方みたい。「札幌プロムナード」を考えるにあたって、ともかく歩行者にいいことが20年近く続いているのを賀とすべしと済ましていいのだろうか。どうしたってそうならない。
見るべきことはふたつ。第一はそう、歩行者天国の根っこにある問題をきちんとつかんでおくこと。これでができなきゃ、人間は永遠に発展できない。端的に言おう。歩行者天国は商店街振興組合などが善意で取り組むべきものなんかではありはしない。それは、都市を運営する側が、自らの課題として——都市を運営するうえの最重要の課題としてなすべきことにほかならない。なぜって? 都市に、都市の住人のための、都市の部屋を作り出す、これ以上重要なことがありますか。理屈をもっと知りたい方は僕の本を読んでください。20年間近く一民間団体にこの問題を預けて、安心してにこっと笑っている市役所の人がいたら、その人ははっきり言ってアホである。
札幌市役所も最近は変わったのかもしれない。2001年5月の朝日新聞に駅前通りの歩行者専用道路化を本格的に検討しはじめたことが大きく報じられていたから。というわけで、札幌市の担当部局である企画調整局総合交通対策部交通企画課に「札幌プロムナード」のことも含めて聞いてみた。「札幌プロムナード」は歩行者にやさしいことだから、補助金の交付等の後方支援をしているとのこと、まあ優等生の答えとしてはこんなものでしょう(どうして市役所の人は優等生ばかりなんだ!)。本筋の駅前通りの歩行者専用道路化について、目標とする完成年度を尋ねたら、20年後だという。長期総合計画が20年後を目処にしているからというのだが(その時僕はもう死んじゃってるかもしれない、どうしてくれるんだ!)、なんと悠長なことを言ってるんだと思う。この種の問題は、やろうと思ったら、その準備は今から出来るし、やろうと思わなければずっと棚に飾っておくこともできる。やろうと思うか、思わないか、その分かれ目は哲学なのだが、哲学不在が常態と化したわが国では放っておくしかないか。本当にやる気があるなら、全体の交通システムの検討はもとより、世界各都市の実例の調査と問題点の抽出、市民の意向調査と合意形成、周辺建物の意向調査、サービスアクセスの処理方法と課題の抽出等、いますぐしなければならないことが目の前にごまんと転がっているはずなのだが。札幌市は自分とこのホームページに概念的かつ情緒的な内容を載せているだけのよう。ああ! (「札幌プロムナード」は駅前通りの一部だが、これを主催する上記の商店街振興組合に駅前通りの歩行者専用道路化の構想を説明すると、はあ、市がそんなこと考えてるんですか、こちらには何も言ってきてませんがね、などといわれちゃった。)
*その後、駅前道路の歩行者専用道路化の話はナシになったとのこと。若干の動きがあったようだが、民間の賛同を得られず無理と判断した( 札幌市 市民まちづくり局都心まちづくり推進室都心まちづくり課から聴取)。その代わりかどうか、現在、駅前道路下に地下道(結局、地下街的なものになるらしい)の建設が進行している(2008年時点)。このために200億円をつぎ込むとか、なんたる壮大なむだ!
というわけで札幌の歩行者天国の根っこにある第一の問題は、これ以上ほじくってもしょうがないから打ち止めにして、次の第二の問題は、誰がやったって歩行者専用道路は歩行者専用道路なのだから、それをそうとしてしっかり見て、今後の肥しにすること。そこで左の画像を開いてご覧いただきたい。2001年6月17日(日)午後の一風景だが、どうだろう、自動車は入ってこないんだから歩行者はもっとゆったりくつろいでいいはずなのに、どうも落ち着かない。その最大の原因は床の状況にあるだろう。本来の歩行者スペースから一段下がってのアスファルト敷き、おまけにご丁寧に白ペンキでなにやら模様が描かれているが、美的センスとは無縁のものだから、人間の場所を支える床にはどうしてもならない。ここから交通標識を取り除き、床の段差をなくして床仕上をそれ相応のものにしたら、周囲の建物を一切いじらずにすごい空間が出来上がるのだが、想像してもらえるだろうか。画像を処理していっちょうやったるかと思ったが、面倒なのでやめた。
歩専道を歩専道として見るためのふたつめの例。この画像は説明が必要かもしれない。右側は本来の歩道、左が臨時に歩行者に開放されている、本来の車道。その両者が見事に分断されていることが、臨時の歩専道化によって明快に浮かび上がる。本来は車道と歩道、そこが分断されていて一体何が問題なの、むしろ安全確保上いいことじゃないの? これが現代人の常識なのだが、本当のところ車社会に翻弄されたゆえの短見といわなければならないものなのだ。
昔、といっても江戸時代、道と町は同意だった。町は道によって担われていて、道巾は町巾と呼ばれた。街路が都市の部屋にほかならないのなら、町という実体は街路にしかありえない。街路の真実体を共有できた江戸時代はよかった。それにくらべ、町が車交通でずたずたに分断されているのが現代なのだ。子供たちにとって何と寒々とした光景が広がっていることだろう。われわれ現代人は車の利用から離れられないかもしれないが、歩車道の分断がすなわち町の分断にほかならないことを肝に銘じるべきなのだ。そこからどうするか、まさに現代人の知恵と理性が問われているのだ。
写真の状況は歩専道化が行われたら誰が見たっておかしいから、そのとき自然に解消するはずのもの。でも現状でこうしたことをどんどんやっていいかどうかは別の話、街路の本体を直視すべきだろう。
歩専道を歩専道として見るための最後の例。話は簡単。歩行者は歩行者なのにひたすら座りたがっていて、座れるところにともかく座っているということ(座っているのは中央分離帯のところ、この通りの幅はかなり広い、36mあったか)。まあここが限定された、一種のお祭り的な場所だからこうなっちゃうんでしょうか、普段の街路に対する欲求不満を解消しているようにも見えるし、でもみんないい顔してる。何を考えているのか、つっけんどんにしか見えない若者達がかわいく思えてくる。座る環境をきちんと整えて、ここに中年のおじさんやおばさん、それに子供やお年寄りも置いてみたいと僕は思う。ねえ、札幌市の皆さん、やろうよ。楽しいことを思い切りやったら僕たちは救われる。