都市の哲学 田村敏久・著

歩専道のネットワークにおおわれた都市は人間の都市としての第一の条件をそなえたことになりますが、もちろんそれは自動車利用を前提したときにいえる話であって、都市の人間の場所がそれだけで形成されることがないのはすでに確認しておきました。

つぎの、人間の場所をつくるうえで主要な、本質において重要な話題は、街路の両側に並列する建物のあつかいかたです。街路の両側に並列する建物によって、はじめて街路は場所=空間としてあらわれていますから、建物のあつかいかたが空間を決定する、まさに決定的な要素であることは容易に見とおすことができるはずです。じっさい建物についてのすべてが、つまり建物の外観はもちろんその内部の使われ方までが問題になるのですが、しかし街路を空間として提示している建物について第一に取り上げられべきは、建物それ自体ではありません。

どういうことか、すでに読者においては明らかだと思いますが、それは建物の連続性にかかわります。街路の両側にならぶ建物の連続のしかたが空間のすがたを決定している、というより一般的に、ひとつの方法で連続する壁がひとつの空間をかたちづくっていますから、空間の形成に言及するなら、まずもって壁の連続性が問題になります。人間の存在をささえている場所の察知が、まさに壁の連続する方法を察知することにほかならなかったわけですけれども、人間は見ることによってそれをどう知ることができるか、私たちはすでに明らかにしてきました。

壁の配置方法は天井にもっともよくあらわれています。というよりも、配置された壁のその配置のありさまは、そのまま天井となってあらわれています。壁の配置方法は天井となって結晶しているのです。私たちは天井を見ることによって壁の配置状況を一挙に把握することができるのであり、それはまた人間に与えられた空間の構造を知る唯一の方法にほかなりません。

人間の存在をささえる場所の察知は、したがって天井を見る人間の行為によって第一義的に完了するはずですが、屋外の空間ではここに厄介な問題が存在します。天井といっても壁の連続のしかたは室内のようにはいかず、ひとつの床の形状にたいして天井の形状はさまざまで、もはや天井とは呼べない場合もあります。しかし、どのような形状の天井であれ人間は天井を視界におさめる以外に場所を察知する方法をもっていませんから、天井をどうかたちづくるかが、屋外の空間を構成する場合のもっとも基本的かつ重要な作法になります。

場所を察知する明瞭度はすなわち人間の存在をささえる強度を意味し、人間の存在をささえる強度はすなわち人間を行為にみちびく力の大きさを表現します。場所を察知する明瞭度は結局、視界にとらえられる天井の明瞭度に還元されますから、こうして空間をかいしての天井と人間の根源的な関係がしめされます。そこで天井の明瞭度がなにによって表されるかといえば、それは天井を意味をもつ形態として人間が把握するという場合の、意味の量の大きさによってです。

天井とは直立する壁のおおむね水平な上端がえがく図形であり、水平な床を前提すれば、壁の上端がえがくのは、壁の高さ分だけ上方に移された壁の下端の図形にほかなりません。壁の下端の図形とはすなわ床の形状にほかなりませんから、人間が天井に意味をみいだすことができるのは結局、それは床の鉛直上方の写像であること、この一点に収斂されます。

したがって、天井が人間にたいしてもっとも多量の意味を放出するのは、まちまちの高さの壁が床の形状の断片をまちまちの位置に表示する場合ではなく、壁の高さの統一によって、それぞれの壁が互いに連携しながら床の全体の形状を一定の位置にしめすときです。このとき天井は床の全体の形状を壁の高さの位置に明示し、人間が壁にもとめる必要な情報を最高の明瞭度をもって人間に発信します。人間は、こうしてあらわれている天井を視界におさめることによって、もっともよく場所を察知して、もっともよく自己をささえ、行為を展開するもっともよい態勢にうつることができます。

以上は天井についてすでに検討してきたところの要約にほかなりませんが、結論は、街路に並列する建物の高さを統一して最高の天井をかたちづくる必要性が、都市空間を構成するうえの根源的な条件として指摘されるということです。自然空間ではこうはいかないということ、ここに都市空間の無限の可能性が隠されていることを忘れないでください。都市を構成する人間たちが、みずからの欲望を満足させることにうつつをぬかして、そこを忘れるというなら、彼らは都市に生きる資格がないといわれても致し方ないところです。

建物の高さの統一をはかる必要性を確認して、では具体的にその高さをどう決めればいいのでしょうか。一般の方はご存じないかもしれませんが、専門家のあいだでは街路の幅と両側の建物の高さの比率がよく問題にされます。といっても、なにかはっきりした根拠があってのことではなく、ようするにこのだれの目にも明らかなふたつの数字を操作して話をすすめるのが分かりやすいということにすぎません。街路空間を断面で比較したとき、その大きさの変化とともに形状の変化(横長か正方形か縦長か)によって、そこがさまざまな雰囲気の場所としてあらわれているのを私たちはある程度まで体験していますから、そのいわくいいがたい感覚をもとに話をすすめる以外にないわけです。

それよりも、建物の高さを指導する現実的な条件があるのを読者は先般からご承知でしょう。建物の高さの最低限度は建物の床面積に従属している、つまりたとえば二階建てにしなければならないとき、建物の高さの最低限度はおのずと決まりますから、ここに建物の高さを論じる現実的な根拠が発見されます。それは建物の床面積の需要と供給の関係であり、自由経済を標榜する以上、この面を避けてとおるわけにはいきません。その意味は、建物の高さの統一をはかるための不可欠の条件として建物床面積の需要と供給の関係を正確に押さえるということであって、個々の建物の床面積の要求に付きしたがうということではありません。

ここから、そろえるべき建物の高さは都心部では高く、郊外にいくにしたがって低くなるという、都市の普遍的なすがたを踏襲したものになるはずです。空間の構成という面からそれを否定する根拠はなにもないからですし、また人間活動の自然で必然的な結果に逆らうのは、どうしたって無理があるからです。重要なのは、いずれの高さであれ建物の高さの統一が図られているということです。

じっさいにいかなる高さで建物の高さを統一するかは、それぞれの都市のそれぞれの実践にまかせられています。それは結局のところ、未来への人間の投企としてあるほかないのです。

 

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