都市の哲学 田村敏久・著

都市の構造といえばおおげさな表現に思われますが、都市に構造というものがあるなら、それは私たちの身近な存在としてあるはずについてはすでに述べました。じっさい、それは私たちによって日常不可避的に体験されてあり、それがそれとして意識されないのは、たんにあまりにも身近な存在であるためといっていいかもしれません。

都市の構造がなんであるか、ふたつの方法によってアプローチします。はじめは都市を俯瞰する方法です。そのために実際に都市を俯瞰しなければならないというのではありません。高いところから市街地を見おろした経験、また写真等に定着されたその光景をご覧になった経験は各自それぞれおありでしょう。その経験を思い出せば、市街地を真下に見おろしたときの光景を思い浮かべることだってできるはずです。

さてそのときなにが目に入るでしょうか。もちろん集合する建物の群れであり、じっさいのところ建物の群がっている範囲が都市と呼ばれるエリアだというのが、都市のエリアを定義する正しい方法です。しかし建物同志がくっついていては、建物は建物として機能しえません。

この点から注視してみますと、建物に縁取られたすき間が目に入ってくるはずです。もちろん建物に縁取られたすべてのすき間が、おなじような役割をしているのではないことは当然です。そのなかで建物の存在を保証しているのは建物に縁取られた道路、つまり街路です。街路があるから建物があり、建物があるならそこに街路がなければならないという具合に、建物と街路は不可分の関係にあります。

こうして建物と街路が都市を構成し、都市の構造を決定しているふたつの要素であることが明らかになりますが、あまりにも素朴な結論だといってばかにしてはいけません。いずれここから、都市の人間がいまだかつて知りえなかった目もくらむような事実が導出されるはずです。そこで、両者がどのような関係をもって都市の構造が形成されているのか、次に問題になります。この点を明らかにするためにも、べつのもうひとつの方法で都市の構造にアプローチしておきましょう。

それは都市を俯瞰したときには豆粒ほどにしか見えなかったひとりの人間の目に捉えられる都市に注目する方法です。といってもこれがむずかしいことであるはずがありません。私たちの日常生活を反省するだけでよいはずですが、しかしあらゆるものが人間の目に捉えられますから、そのどれが都市にかんするものかを初めに画定しておく必要があります。

場所という表現が意味する精確な内容については後段で説明するとして、ともかく私たちにとって都市は特徴的な生活の場所としてあらわれているというところまでなら、だれもが共感できるはずです。そこで、私たちひとりひとりの目に捉えられる都市の生活の場所を調べてみましょう。簡単にいうなら、都市にあって、それは建物の内と外というふうに言い表せます。現代においては、さらに自動車という存在も忘れられないところですが、人間の場所としての自動車については後段でふれることにして、いまは都市の生活の場所を建物の内と外というおおきな分け方で整理しておきます。

建物の内が生活の場所だというのは、都市とは無関係な、人間の生活の普遍的な状況です。私たちは、そこが農村だろうと漁村だろうと、はたまた山のなかだろうと、人間らしい生活するために建物を必要とします。建物の内での生活が人間の生活を意味づけている実情は、都市と直接の因果関係をもたない、人間にとって普遍的な状況です。

では建物の外についてはどうでしょうか。建物があれば、建物の内と外があるのは当たりまえのように思われるでしょうが、都市の場合、建物の外は特別な場所となって現出しています。つまり都市にあって、建物の外は街路という、都市以外には考えられない形態をもった場所になっています。都市が人間の特徴的な生活の場所としてあらわれているということを、この事実は正確に説明しています。そこで、都市において建物の外が街路だということが意味するところを実生活を振り返って調べてみましょう。

 

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