都市の哲学 田村敏久・著

おそらく、レポートの担当者はもっともらしさにまどわされて、紙屑として捨てられるべきであったこの図をうっとり眺めていたにちがいありません。そのもっともらしさを演出しているのは、一見複雑そうにみえる道路の体系にあるのはまちがいありません。居住環境地域はかなわぬ夢と消え去りましたが、レポートの提案を完全に消化して、これからの踏み台にするには、分散道路体系といわれるものを正しく把握する必要がありますし、またそれは本来レポートの提案について第一になされるべきことであったわけです。

レポートはみずから提案した分散道路体系を木の構造になぞらえて、なにかおおきな真理を発見したかのように悦にいっていますが、縁もゆかりもないものとくらべるとはなんとばからしいことでしょう。それは、地域内部のアクセス道路に達するには幹線分散路→地区分散路→局地分散路と経由しなければならないことが、木の葉に栄養がとどくには幹→大枝→小枝と経由しなければならないこととおなじだからですが、そんなことよりも、分散道路体系が道路に求められる機能をどう果してしているかが問題になるのはいうまでもありません。

分散道路体系は複雑な理論によっているようにみえますが、じつはごく単純な原理にもとづいて組み立てられています。はじめに一番太い幹線分散路があります。それらはおおむね、おおきな格子状に配置されて都市を覆っているはずです。そこから幹線分散路でかこまれた地域への進入口を限定するというのがレポートの基本作法です。既存の都市を対象にする場合は、すでにある幹線分散路への進入口の一部をふさぐということになります。それは交差点を減らして自動車交通の効率を最大にするためなのですが、いっぽう幹線分散路への流入、またそこからの流出が不便になることも意味しますので、自動車交通を効率的に処理するうえで単純にいいことだとはいえません。

幹線分散路に取りつく進入口には地区分散路がつながります。進入口は限定されていますから、地区分散路は必然的に準幹線としての役割を担わされます。地区分散路からさらに地域の内部に達するには、さきほどとおなじ原理が適用されます。すなわち地区分散路に限定された進入口をもつ局地分散路、局地分散路に限定された進入口をもつアクセス道路という具合です。注意したいのは、自然に発達した既存の都市を対象にする場合は、それぞれの進入口の一部をふさぐことになるということです。

さて、こうして配置された道路の体系を私たちとしてはどう評価すべきでしょうか。レポートの居住環境地域が道路の体系とはべつの原理によって導かれた地域であるなら、居住環境地域を成立させるためにどう貢献しているかという観点を評価の軸に設定することができますし、またそれは本質的に重要な観点であったはずです。ところがレポートの居住環境地域は道路の体系図によってはじめて説明されるという始末ですから、その観点に立つことはできません。

じつのところ、レポートにおいて道路体系の必要性は居住環境地域によって説明されていますから、レポートの論理は居住環境地域と道路体系がたがいに一方の根拠となって発展していく循環論法にすぎません。循環論法とは、自分の尻尾をくわえようとして無駄な回転運動を続ける犬のようなものです。運動を展開するのは無限に可能ですが、そこから得られるのは結局、無です。人間は発展しようとするなら、循環論法におちいらないこと、また循環論法に気づいたらそこから一刻もはやく脱却することがもとめられているのです。

 ともかく、こうしてレポートの道路体系を評価しようとするなら、自動車交通を処理するうえでの効率性というごく一般的な観点から検討する以外にありません。そこで分散道路の体系図を注目しますと、たしかに交差点は少ないのですから、それぞれの分散道路での自動車のながれはスムーズでしょう。しかしこの点をもってして、道路の体系が効率的であるかどうかを判断することはできません。高度に集積された都市の内部で、無駄な距離をスムーズに走っても、結局それは無意味であるからです。

ここでもっとも公平な観点は、たとえば居住環境地域と呼称される地域の任意の一地点(いまそこを仮にPとします)から幹線分散路に入ろうとする自動車の運動を注目することです。いったん幹線道路にのってしまえば、あとは目的地の近くまで走るだけですので、この場合[P←→幹線分散路]という経路が都市内部において注目すべき、自動車のもっとも普遍的な運動であることは十分に理解されるはずです。都市を走行する自動車のほとんど唯一の目的は、建物から建物への移動にあるからです。

そこでPから幹線分散路の経路がどうなるかを調べてみましょう。煩雑になりますからここでは図示しませんが、レポートの道路体系によれば、分散道路に取りつく進入口を限定しない自然な道路の体系をもつ場合とくらべて、[P←→幹線分散路]という経路がいたずらに長くなることが簡単な検討によって明らかになるはずです。自動車交通の効率化を旗印にしている以上、そもそもそうして強制される経路の選択を自動車利用者が納得するかどうかが第一の基本的な問題となりますが、都市の自動車の普遍的な運動をしめす経路がいたずらに長くなるということは、すなわち都市の自動車交通量がいたずらに増加することを意味します。

あたかも簡単になし遂げられたかのような分散道路での自動車のスムーズなながれは、じつは自動車交通量をいたずらに増加させるという、自動車交通を処理するうえでの負の遺産をともなっていたわけです。

 

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