街路研究会

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ロコロトンド地図のページ
プッリャ州の歴史

ロコロトンド Locorotondo

 ロコロトンドやマルティーナのあるイトリア谷一帯は早くから人間が住み始めた地域であり、多くの考古学上の発見から、谷と丘を問わず紀元前9〜4世紀頃からの人間活動が明らかになっています。ただ、それらがギリシャ起源なのかどうかは不明です。
 ロコロトンドの町としての創設は13世紀前後に遡ります。ロコロトンドについての最初の記述によると、そこは聖ジョルジョ教会のある円い場所であり、モノポリ付近のアドリア海沿岸にある聖ステファーノ・ベネディクト修道院の封土でした。そののち500年にわたり様々な封建君主の領地となったロコロトンドは、町としての勢力を徐々に強め、都市壁と城を構築します(19世紀中葉に破壊)。マルティーナの領主であり最後の封建君主であったカラッチオーロ家は19世紀初頭までロコロトンドに滞在していました。
 さてマルティーナ・フランカ駅からは3方向に列車が出ています。レッチェ行きに乗って10分でチステルニーノに、バーリ行きに乗れば、それぞれ10分間隔でロコロトンド、アルベロベッロ、ノーチに到着します。
 このうちチステルニーノとロコロトンドは「イタリアの最も美しい村」というクラブ(2001年創設、イタリア地方自治体・全国組織の観光部門が先導)の会員になっていて、チステルニーノのページで紹介した赤白の会員証看板がここでも見られます(アルベロベッロは世界遺産都市、マルティーナ・フランカは十二分に美しいけれど村ではない、ということでノーチだけがのけ者か)。
 マルティーナ・フランカ同様、ロコロトンドへの訪問は二度目、28年前はマルティーナ発着の日帰りで短時間の滞在でしたが、現地のひとびとと濃密に交流した思い出深い町です。今回はアルベロベッロを拠点に数度訪問し、あいにく天候には恵まれませんでしたが、内部をじっくり見ることができました。
 事後的にではありますけれども、石造切妻屋根の家屋(クメールセ)がロコロトンドの特徴のひとつである点を発見できたのは収穫でした。しかしそれ以上に、マルティーナに優る数の多様な教会が点在することは刮目に値します。これら教会は深層でロコロトンドという町の精神的支柱を形成しているように思われます。

*写真番号のハイフン以下8桁の数字は、撮影の月・日・時・分(現地時刻)を表示しています。