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チステルニーノ俯瞰図
プッリャ州の歴史
チステルニーノ Cisternino
マルティーナ・フランカから北にロコロトンド、北東にチステルニーノが位置します。これら3都市を結ぶ三角形の各辺の長さは6〜8km、相互に歩いて行ける距離です(ちなみにアルベロベッロはロコロトンドの西北西8kmにあります)。このあたり一帯はイトリア谷と呼ばれ——谷といっても盆地に近い——、3つの都市はともにイトリア谷に点在する丘陵の上にあって、卵形に閉じた市街地によって形成されていることから、これら3都市は兄弟関係にあると見てよいでしょう。
名は体を表すということで、チステルニーノの名の由来を調べてみました。その起源はストゥルノイという人物に遡ります。ギリシャ神話に登場するディオメデスの仲間であったストゥルノイは、トロイア戦争後に都市を建設、その街はストゥルニウム Sturnium(現在のオストゥーニ)と呼ばれました。ストゥルニウムはローマに占領され、のちにゴート人の略奪にあって廃虚と化します。
今日のチステルニーノ旧市街地は中世のバジリア派修道士によって再建されたのですが、当時知られていたストゥルニウムを基準にして、彼らはそこを Cis-Sturnium(ストゥルニウムのこちら側)と呼んだというのです——チステルニーノはオストゥーニの西12kmに位置します——。
マルティーナ・フランカからレッチェ行きSud-Est線(南東線)に乗って10分ほどで次の駅、チステルニーノ・チッタ駅(チッタは市の意)に到着します。駅周辺は無人、数軒の建物のほかは畑地ばかり。線路に沿って逆戻りするかたちで畑地の間の細い道をしばらく進むと、やがて右手の高台に見えていた市街地に接続する道路に行き当たり、ほっとするわけです。
今はストリートビューで事前に疑似体験できますが、その昔、駅に降り立った極東からの旅人は相当な不安を強いられたであろうことは容易に想像されます。高台へつながる道路はしばらく平坦ですが、やがて急勾配になり、最後は階段となって、ようやく旧市街地に到達する次第となります(このへんの状況は2011年撮影の鮮明な画像によるストリートビューで確認できます)。
最初のページにも書きましたが、撮影当日は晴れ模様ながら木枯らしが吹き荒れ、高台の端に位置する旧市街地はその楯になるかたちとなって、ぶらつくには厳しい条件でした。本当は長居をしてじっくり撮影に臨む心積もりでしたのに、しつこい筆者にとっても、撮影は午前9時からの2時間程度が限度、このためか下の写真は寒々しい印象になっているかも知れません。暖い時期にもう一度チャレンジできたら思います。