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イタリア・プッリャ街路紀行2010 経路図
プッリャ州の歴史
はじめに
2010年11月中旬より2週間にわたり、単独行でイタリアのプッリャ州(プーリア、アプリアとも)に街路調査に行ってきました。28年ぶり、今回は2台のデジタル一眼と大量のメモリカードを携え、ほぼ撮り放題、フィルムの残枚数を気にしながらの前回とは大違い、本当にいい時代になったものです。バーリ、オストゥーニ、レッチェ、チステルニーノ、マルティーナ・フランカ、ロコロトンド、アルベロベッロ、ノーチ、以上の8都市を見てきました。
街路に響く生暖かい人声に刺激され、興奮しながらシャッターを切ったのは前回同様ですが、シャッター無制限で興奮度合いはだいぶ昂進したかもしれません。今回は夜の部も注視、ここは28年前、昼間の疲れのためカバーできなかったところです。
驚きはバーリの旧市街地でした。関係書籍では紹介されていないものの、googleのMapsやEarthで面白いんじゃないかと目星は付けていましたが、その街路空間には圧倒されました。びっくりするほど多彩な、そしてむせ返るような人間の活動、その人間たちを包む変化に富む見事な空間の構成、精神の直立上昇を促す力感と繊細な美にあふれた教会の数々、聖と俗が交差する人間界のひとつの極致をそこに見る思いがしたものです。
これまで、前回調査での忘れ物がしきりに気になっていました。酷暑のなか、回遊コースから大きく離れたマルティーナ・フランカとロコロトンドにようやくたどり着き、至福の時を味わったようなのですが、それが本当だったのか、もっと何かあったのか、ずっと気になっていたのです。今回の第一の目的はそこを極めることでしたが、かなりの程度埋めることができました。そしてマルティーナ・フランカへのたんなる中継都市でしかなかったバーリのすばらしさを発見できたのは想定外の収穫といえるものでした。
前回の問題意識の根幹にあったひとつは都市と自動車の関係でした。おもしろいことに今回はその点にあまり気が回りませんでした。というか、どうやったって自動車は入り込めるところには入り込んでくるという動かしがたい定理があり、一方、そもそも今回巡ったのは旧市街地ばかり、そこでは自動車にはおのずと制限がかかってきます。街路幅からしてバイクや小型でなければ無理、すれ違いや回転の空きは数cmレベル、こんな場所で大きな道具を使うのは大変だなと感心して眺めている自分がいました。
人間の容れ物としての街路と広場、その存在の計り知れない重さに感じ入ったのは前回同様ですが、加えて、街路と広場を「地」にして立つ教会の意味の大きさにも改めて目が開かされました。
教会は街路と広場を刻印するユニークな存在になっていると同時に、異次元の空間を内包し、そこは特別な場所として公に供されています。卵形に閉じた旧市街地の人間が共有する場所は広場を含む街路空間と教会の内部空間であり、両者は有機的に連関して旧市街地の骨格を構成し、その存在の意味を担っています。聖と俗の弁証法が鋭く機能しているもの、このふたつの存在によってである点は忘れてはならないところです。こうした観点から街路と広場とともに、教会の内部空間もご紹介して参ります。
最初のアップロード翌日の2011年3月11日、早く見てもらいたいと考えていた矢先に例の東日本大震災が発生しました。被災の無残さに打ちのめされると同時に、人間の命にたいする畏敬を置き去りにした原発事故対応に愕然とし、意味の根拠の不在にぼう然とたたずむ日々が続いてしまいました。人間はしかし、いかなる場と時にも生きていくほかないという、至極当然の事実にようやく思い至り、そこに立脚する覚悟を定めた次第です。
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プッリャ州の州都、人口およそ32.8万人。今回行程の基点都市、その旧市街地に思いもしない衝撃を受けた。一般にはたんなる危険地帯のよう(レッチェで出会った見知らぬイタリア人写真家に、よくそんなカメラを下げて大丈夫だったなと言われた)、でも私みたいな人間にとってこれほど濃密で広大なレンジを持つ空間はかつてなかった。
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人口およそ3.3万人。「丘の上の白い迷宮」と称される。鉄路でバーリ駅から1時間でオストゥーニ駅到着、市街地は駅から2km離れ、駅周辺を過ぎると市街地までほぼ無人の畑地。駅—市街地のシャトルバスもあるようだが、筆者は徒歩で(帰りも、しかし夏は大変だろう)。期待に反して、その間特別な光景に巡り合うことはなかった。
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人口およそ9.4万人。歴史は二千年以上、バロック様式建築の多さから『南のフィレンツェ』と呼ばれる(wikipedia)。白ではなく茶色の街、埃っぽい予想に反し、その落ち着きと品位に感銘を受けた。イタリア人男性カメラマンと連れ立つ現地在住日本女性に声をかけられ、「レッチェは良い、バーリは特別」と立ち話。
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人口およそ4.9万人。28年ぶり、念願叶っての感激の再会といいたいところ、愛ちゃんの名言「きれいごとじゃない」のとおり、感想は着実で堅実。昔アスファルトを被せていたところが石畳に復元されてるのを発見してにんまり。教会内部をじっくり見たことも相俟って、旧市街地全体の印象はより深化し確固たるものになったと思う。
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人口およそ1.2万人。白い町として一部専門家の紹介で知られるようになった。どう紹介されたのかは知らないが、規模は極小なので旧市街地を歩き尽くすのは短時間で可能。教会も比例して小さい。調査日(11/24水)は晴天ながら朝から木枯らしが吹きあれ、教会に避難するも長居は厳しく、駆け足で撮影、早々に退散してしまった。
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人口およそ1.4万人。丘の上に、その名のとおり(loco=場所、rotondo=円い)の円く広がる白い旧市街地を望むことができる。規模は大きくないものの、手入れの行き届いた街路・教会・広場全体が確乎とした個性と気品を醸し出す。平日午前に入った大聖堂、居たのは掃除のおばさんだけ、そこにBWV565が突如鳴り響き、粛然となった。
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人口およそ1.1万人。世界遺産の観光地だからというより、近接都市への副次的な基点として数日滞在した。教会を中心に閉じた形態の市街地はここには見られないが、トゥルッリで囲まれる歩行者空間は独自の魅力を持つ。ただ日本人団体観光客から「おとうさん、このお店かわいい」の声を耳にして、テンションが一挙に下がったのは事実。
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人口およそ2.0万人。閉じた旧市街地を持つ普通の都市の普通の状況を知りたくて、アルベロベッロから出かけてみた。確かにそこには相応の街路と広場と教会があり、動かしがたい着実な日常が営まれていて、それはそれで確かな質量の印象がもたらされた。なかで、小さな教会内部の古い素朴なフレスコ画に妙に引きつけられた。