都市の哲学 田村敏久・著

それでは人間が自分で自分の存在を更新するとはどういうことでしょうか。たとえば人間の体内では血液が休むことなく循環しつづけています。それは生命が生命であるための根源的な条件といえるもので、体のなかを循環する血液は体内の各細胞に栄養を運び、またそこから老廃物を運び出し、人間の身体をつねに更新しています。したがって、すくなくとも身体のレベルではっきりいえるのは、いまの自分はすこしまえの自分とも、このあとの自分ともちがうということです。人間の身体はつねに変化しつづけているのであり、また変化するほかないというのが生きていることの実相です。場所の変化による存在の更新も、この面から捉えることができます。

歩行は第二の心臓である足を動かす端的な行為ですから、まさに血液の循環を活発にさせるという意味からも、歩行が人間の身体の更新に本質的な役割を担っているのはおおいに強調されるべきですが、ここでは、感じ、思い、考える人間という、人間の内面を重視したレベルでの歩行の役割が問題です。ついでにいっておきますと、こうして身体のレベルと心のレベルを分けて考えることは、ほんとうは人間の実態にあいません。おなかが空いたときには、人間は食べ物のことしか考えられないものです。しかし以下では、歩行が身体のレベルでも人間の更新におおいに働いているということをあたまに入れて、心のレベルでの歩行による更新を考えることにします。

身体の更新が生命の根源的な条件であるのとおなじく、人間の存在、そのことの更新も生命活動の不可避の要請であるはずです。話を展開するまえに人間の存在とはなにを指すかを、ここで改めて確認しておきます。人間の存在は、どこかで、なにかをしているというかたちでもっともよく表現されますし、それはじっさいこの世に存在する人間の普遍的かつ基本的な存在の形式です。おそく帰宅した子供にむかって、親が「どこで、なにをしていたの」と問うのは、まさに帰宅するまでの子供の存在のしかたを問うているわけです。

このとき、「どこかで」と「しているなにか」は密接な関係にあります。その関係は社会規範的でもあるし、また人間の自然な反応として決まる場合もあります。両者は、後者が基本にあって、そのなかから必要なものを社会規範として定めたというのが実情でしょう。いずれにしろ、この関係を[場所−行為]と書けば、人間の存在のしかたは[場所−行為]の関係体として表現されます。場所と行為の関係がどうなっているかといいますと、場所を察知することが人間の存在をささえる第一の契機になっていますから、行為は場所に従属していると考えられます。したがって、[場所−行為]の関係を文章で書けば、場所があるから行為が発現される、となります。つまり結論は、人間の存在の更新とは場所の更新にほかならず、場所の更新によって人間の存在が更新されるということです。

場所を更新するといっても、身を置く場所をひとつの場所から別の場所に変えるという結果だけを注目すれば、そのあいだの移動の方法が歩行なのか、あるいは自動車によるのかは本質的に重要ではありません。こうしてしめされる場所の更新が私たちの生活を意味づけているのは容易に感得されるところですが、場所の更新を根底的に捉えれば、場所を更新するといいながらそこに難点があります。つまり変更した場所は、その瞬間からだんだん古くなっていくということ、簡単にいえば、どんな場所もだんだん飽きてくるということです。

こう考えると、場所を継続して更新する行為としての歩行、あるいは歩行による継続する場所の更新という事態が特別なものであることが理解されるはずです。場所の更新による人間の存在の更新が生命活動の不可避の要請であるなら、それを実現する手だてとして歩行に比肩する行為はありえないのです。

ところで歩行も当然ひとつの人間の行為ですが、人間の存在は[場所−行為]と表現されるのにたいし、場所を変える行為が歩行なのですから、行為として歩行を考えるときには[場所−行為]と書くことはできません。つまり歩行している人間は、人間の普通の存在とは異なる存在の形態にあるということになります。

歩行という行為と場所の関係を表現しようとしたら、[行為(歩行)−場所]と書く以外にありません。[歩行−場所]とは、歩行によってあたらしく場所が発見されるという意味です。この関係を行為一般と場所の関係につなげると、[歩行−場所−行為]となりますし、それはまた[歩行−人間の存在]とも書き表せます。それは、歩行によってあたらしい場所を発見し、そこで人間はあらたな行為を発現し、自分で自分の存在を更新するという意味です。

私たちはいま、しりとりをしているのではありせん。私たちの現実が端的な形式で表現されたということにすぎないのです。歩行する人間の存在が[歩行−場所−行為]というかたちで表現されるというのはすなわち、歩行が人間の存在を更新する唯一の行為である実情を明瞭に語っています。

 

プロフィール