街路研究会|Top

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このサイトについて

 街の路、または町の道、そう『街路』、なんてありふれた言葉だろう。だが都市が人間の都市として自立している根拠をたどることができるなら、この言葉に対するイメージは一変するはずである。以前、都市再開発に携わっていた時分、都市を再構築する原理の不在にあきれ果て、そのもとで仕事をすることに疑問を感じた。再開発やら新開発が巷にあふれている状況からして、読者には信じがたいことかもしれないが、建物が都市を構成しているのは厳然たる事実だとしても、個々の建物の要求に答えることが都市の目的ではありえない。それぞれの建物の具体的な利害を調整することが都市運営上のもっとも現実的な方策に見えたとしても、都市の論理に従うことを欠いているなら、それは都市に荒廃をもたらしかねない。これが事実かどうかは今のわが国の都市を、都市を自己存在の手段としてではなく、都市そのものとして見るという理性を働かせることができるなら、極めて明快だろう。
 こうしたとき一冊の本、バーナード・ルドルフスキーの『人間のための街路』(原題:『STREETS FOR PEOPLE』、1969年)に出会い、衝撃を受けた。ここでもそこから究極の一節を引用しておこう。

‥‥というのは、街路はエリアではなくヴォリュームであるからだ。言い換えるなら、街路はそこに建ち並ぶ建物の同伴者にほかならない。街路は母体である。都市の部屋であり、豊かな土壌であり、また養育の場でもある。そしてその生存能力は、人びとのヒューマニティに依存しているのとおなじくらい周囲の建物に依存している。
 完璧な街路は調和のとれた空間である。取り囲むのがアフリカのカスバのごときほとんど密室の家々であろうと、あるいはヴェニスの繊細な大理石の宮殿であろうと、要はその囲いの連続性とリズムである。街路はそれを縁どる建物があってこそはじめて街路であるといえよう。摩天楼と空地では都市はできない。西欧建築の成功は、(くどくどしく美術史家が説くように)個々の建物が担っているのではなく、町の街路や広場の全体が担っているのだ。アノニマスな(注:匿名の)建物はモニュメンタルな建物に劣らず町の様相を決定する。貴重な芸術作品、すなわちランドマークたる築造物は、ひとつの町を形づくるうえではパンに入っている乾しぶどうの役割を果たすに過ぎないのである。(平良敬一・岡野一宇訳)

 「現代的」な都市論にうつつを抜かしている連中には、口をこじあけてでも飲ませてやりたい言葉だが、そこで立ちこめていた濃い霧がさっと晴れ、遠くまではっきり見渡せる心地がした。集合して都市を形づくる建物は何を志向しなければならないのか、それはどのようなかたちに結晶し、それは人間にとって何を意味するのか‥‥、これらが一挙に見えてきたのである。ねばならないのか、どのような、何を、そのときの感覚をいま一応こうした言葉で表現したけれども、およそ実感としては、そうした理屈ぽい言葉使いとは無関係に、感激して、うれしくて、素晴らしいから、どうしてもそうなってしまうというものであって、このサイトでの写真に定着された無尽蔵の豊かさを秘めた街路の光景をご覧いただく読者には、その感覚を共有してもらえるだろうと思う。
 ねばならないと確かに言えるし、しかしその単にねばならないというレベルをはるかに越えた、人間存在の根底に働きかける摂理をそこに見、一方都市再開発の寒々とした現実にまみれるなかで、ルドフスキーの指摘する都市と人間の摂理ともいうべき原理を徹底した論理として明らかにする必要を感じた。摂理ならそれは論理として説明できるはずだし、また徹底的な論理化によってはじめて、それは神の恩寵のようなものとして受け入れられるだろうと。こうしておよそ16年かけてそれを一冊の本にまとめ上げた。
 ここに設立するウエブサイト「街路研究会」は、しかし上述の論理とは一応別に、理屈無用のナチュラルな人間のナチュラルな感性が捉えるはずの、まさに都市の人間の場所としての街路の素晴らしさを語り、その感動を共有しようとする。それでも論理を語る場面はあるだろうが、ここではおまけのようなもの。また研究会といっても、会員は現在のところひとり、会則もなければ、さしあたっての行動予定もない。そもそもひとりの人間が都市を語って、都市が変化するわけではないから、あわててもしょうがない。だが身近な場所にこんな街路があったらいいなと思うがどうかは大切なこと。取りあえずはそんな感覚を持つひとが増えてくれればいいな。
 というわけで、感想、入会希望、提案等、あればなんでも以下のところへ連絡下され。

ttamura@gairo.net

作者プロフィール

  • 田村 敏久(たむら としひさ)
  • 1948年函館市生まれ
  • 71年北海道大学工学部建築工学科卒業
  • 73年から92年まで札幌市職員
  • この間数多くの都市再開発に携わる
  • 官僚主義に嫌気がさして退職してからは
  • 在職中に書きためておいた都市論の校訂に没頭
  • 99年に『都市の哲学』(文芸社)を出版
  • その反響の少なさを嘆きつつも
  • 2001年「街路研究会」を立ち上げ都市の変革を構想
  • 哲学とともにクラシック音楽を人生の伴侶と捉え
  • コンサートを企画する市民組織「アプローズ453」を主宰
  • これまでどこでもやらない演奏会を地元小樽で数多く開催し
  • 奇特な愛好家のあいだで好評を博す
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街路とは何かを問う読者のための簡単なメモ

 街路とは道路の一形態であり、それは街=町に存在する道路を指す用語にほかならない。注意すべきは、街路が道路の一形態といっても、きわめて特徴的な様相を呈して現出している事実である。道路なくして建物は存在しえない、この必然の関係が都市部では高密度に折り重なり、道路は街路となって現れてくる。建物は外壁によって自らを包み込み、内部に自らの空間を作り出しているが、これを街路に存在する人間の目線で冷静に観察すると、街路の両側に林立して連なる建物の外壁が街路を囲み、街路は立体的な空間となって現れている。成熟した都市においては、建物の外部(空間)が実は街路の内部(空間)にほかならず、街路の外部(空間)が建物の内部(空間)にほかならないことがが理解される。ここでの根源的な意味は、建物の内部(空間)と街路の内部(空間)が建物の外壁を境界にして接しており、都市が建物の内部(空間)と街路の内部(空間)によって埋め尽くされていること、そこにあいまいな何かが入り込む余地はまったくないということである。
 それでは、都市という現象は都市の人間にどのように現出しているか。都市が無数の建物の集合によって作り出されているのは明らかだとしても、個々の建物の内部(空間)が都市ではないこともまた明らかだ。したがって都市は建物の外部にある何かであり、上述の論理からそれは街路を措いてありえない、つまり都市とは街路にほかならない。これは単に理屈上の話しではなく、都市の建物の輻輳する関係をいかなる価値基準によって制御していくのかという、現実の深刻な問題に直面すれば、きわめて明晰かつ本質的な原理として浮かび上がってくる。
 都市景観とは街路景観にほかならず、都市計画が都市の計画であるなら、それは街路計画でなくてはならず、用途地域制からして、現実からの抽象に終始している現在の用途地域制をあり得べき用途地域制にしようとするなら、街路から建物を見る方法以外にない。
 しかしここで第一に確認すべきは次の点である。都市が街路にほかならないのだとしたら、都市の場所と呼びうる場所は街路以外にありえず、ルドフスキーが指摘するように都市の人間を養う土壌は街路以外にありえず、したがって、街路を都市の人間を育む豊かな土壌にしていくことが都市の究極の目的となる。
 以上の多少込み入った文脈を頭の片隅にいれて、ここでの街路写真をご覧いただければさいわいである。

街路を深く知るための本

本物の街路研究会会員になろうとする読者に推薦する本を二冊。一冊は自分のものだが、推薦する気持ちにいつわりはないので、お目こぼしを。小樽市の方は両方とも市立図書館でご覧になれます(本当は買ってほしい!)。

人間のための街路

バーナード・ルドフスキー著/平良敬一・岡野一宇訳、鹿島出版会

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【目次】
序章/破壊による発展/豚のための街路/街路の推薦状/キャノピーのある街路/逍遥学派/路上のドラマ/街路の個性/階段を讚えて/橋と高架街路/続・キャノピーのある街路/迷路/ダイヤモンドの街路と水晶の舗道/青い噴水/カフェと街路/犯罪の報復/展望

都市の哲学

田村敏久著、文芸社

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【目次】
はじめに/第1章都市の構造/第2章場所の哲学/第3章歩行の哲学/第4章自動車の哲学/第5章街路の哲学/第6章実践の哲学/第7章実践の見取り図/おわりに

野坂政司氏による「都市の哲学」紹介記事

更新履歴

街 路 研 究 会 ・ 別 館 

puglia2010_thumb.jpg 2012年4月下旬より3週間にわたりイタリア・トスカーナ州の9都市とウンブリア州の2都市を巡って来ました。今回のテーマは街路と広場と教会に加えて、city wall(「都市壁」)と city gate(「都市門」 )。歴史的に、後二者は都市存在の基盤であり、都市の表象であったはずだから、その建設に市民の英知と労力と美意識が結集されたはずだ、存在感が充溢する都市壁と都市門を目前にして、私はそう深く頷いたのでした。

puglia2010_thumb.jpg 2010年11月中旬より2週間にわたっておこなった、イタリア・プッリャ州での街路調査のフォトアルバムを公開します(2011年6月26日)。11月に入りますと、さすがイタリアでも雨が多くなります。雨中の撮影を覚悟していましたが、さいわい小雨模様が1日だけ、天候面ではつつがなく撮影が進行しました。しかしデジカメのメモリカードにトラブルが発生、なんとか急場をしのいだものの、今後のおおきな教訓となりました。

POT_thumb.jpg 2009年に絶版となった拙著、「都市の哲学」のWeb版を公開します(2011年3月10日)。構想から出版までおよそ16年を費やした本書を、著者自ら渾身の労作と称してはばかるところはありません。絶版後ただちにWeb版の作成に着手、ほぼ1年前に完成していましたが、細部の改訂にこだわり公開が遅れました。今後も加筆・訂正する場合があります。
 著者は帯紙に次のように記しました。

「街路は母体である。街路の部屋であり、また養育の場でもある。」本書は、このバーナード・ルドフスキーの魅惑的な言葉に触発され書かれた。ルドフスキーが指し示す方向をたどる長い道のりのなかで、都市と人間の驚くべき関係が次々に明かされていった。本書は透徹した理論の書であると同時に、徹底した実践の書でもある。本書をとりわけわが妻に、そしてすべての都市生活者に捧げる。

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