都市の哲学 田村敏久・著

ルールの対象となる個々の事柄を検討してきましたが、その最後に明確にしておかなければならないのはルールを作成する主体と、ルールにもとづく実践の方法についてです。すでに若干ふれてきたところですが、ここでまとめて整理しておきましょう。

そのまえに私たちがいま問題にしているルールと、たとえばすでにある都市計画法のような法律と、どのようにちがい、またおなじであるのかを明らかにしておいたほうがいいかもしれません。はじめから権力になっているところが法律の法律たるところですが、一方で、文章として表現され、私たちの活動を制約するという面ではおなじものといえます。しかし、こうした表面的なもの以上の本質的なちがいが発見される必要があります。

つまり、ルールはルールをまもる主体の意思の表明でなければならず、そうでないルールはルールとよべないということです。ルールがもとめられる所以、ルールの遵守によって達成される内容を理解し、ルールが未来にむかう人間たちの意思の表明であるとき、それははじめてルールとよばれるに値します。こうしたルールがもとめられるのは、けっして民主主義というような主義によってではないことをすでに説明しました。理性ある人間が理性をはたらかせて都市の未来に立ち向かうとき、そこにどうしてもルールが必要になるということにすぎないのです。

逆にいうと、未来になにももとめない人間にとってルールは必要ないことになります。現状がまさしくそうであるわけですが、たとえば都市計画法の内容について私たちは議論をしたことも、議論を聞いたこともありませんし、その制限の遵守によって都市になにがもたらされるのかを、お題目としてではなく、具体的な内容として把握しているわけでもありません。ですから現行の都市計画法は法律であってルールではないのです。

ルールの内容をすべての人間が理解することはつねにありえないだろうとしても、ルールについての動かしがたい事実は、ルールの基盤は未来にむかう人間たちの協同の意思の表明であるところにしかありえないということです。

そこでルールの作成主体と、ルールによる実践の方法についてです。都市を人間の場所にするための第一のルールは、都市に歩行者用と自動車用のふたつのネットワークを構成するうえで必要な街路の使い方にかんするものでした。このルールは自動車と歩行者にたいして、それぞれの街路の使い方を指示し制限するものですが、これがひとつひとつの場所から発想しているうちは解決不可能な、いわば都市全体を俯瞰する観点からクールに解決されるべき課題としてあることは説明するまでもないはずです。したがって、二種類の道路のネットワークを構成するための道路の使い方は、権力による権力の行使として、具体的には法律による強制というかたちで決められる必要があります。そしてとくに歩専道は恒久的な形態をもったかたちで実現され、その継続が保証される必要があります。

都市の部屋を構成するための第二のルールは、建物の高さの統一を図る必要性からしめされます。このルールは建物の高さの統一を指示するものですが、どの高さが適当なのか頭をひねるところですけれども、この点も都市のひとつの場所にこだわるところに解決の妙案は発見されませんから、やはり都市全体で調整を図る観点から解決策が提示される必要があります。都市全体の建物の床面積と不可分の関係があることも考慮にいれれば、建物の高さは都市を運営する権力もった側の、権力の行使として決められべきものであることが理解されるはずです。

以上のふたつのルールは都市に歩専道のネットワークを構築するためのもっとも基本的なルールであって、それらはいずれも権力による権力の行使として決められ、実践される必要があるわけですが、これ以降のルールはかならずしもそうではありあせん。というより、そうなってはルールとしての実効性は期待できません。そうしたルールでまずもって話題になるのは建物外壁の性状についてであり、この点についてはすでにふれてきたように、その作成主体は街路の住人としての歩行者であり、その実現の結果は歩行者の経験によって検証される必要があります。

また一方で、制限される側にとっては外壁は建物の顔ですから、一律の制限を拒むのことになるのは避けられない事態となり、ここに歩行者、建物所有者、専門家らが参画する政治過程が不可避的に必要となってきます。再三の注意になりますが、それは民主主義によって要請されているからではありあせん。長期的にみた場合、それは意味のある、かつ実効性のある唯一の方法だからであって、民主主義があるというなら、それはまさにこの事実のなかにこそ発見されるべきものにほかならないはずなのです。

歩行者を主体とする具体的なルールの作成方法は、それぞれの現場で工夫されるべきものですが、ここにおいて権力がまったく無関係というわけではもちろんありません。ルールが絵にかいた餅になっては、すべてが水泡に帰することになりますから、ルールの実効性の保証という場面において権力の登場が要請されます。つまり、権力によってルールの実効性が保証される必要があるということです。これこそ理性ある人間にとって権力本来の仕事といえるはずのものであって、それはルールがルールであるためにぜひとも必要なことです。

このほかの路面の仕上げ方法やストリート・ファーニチャの配置については、ルールの制定というより、道路を管理する権力の側にその決定権がありますが、歩行者を代弁し代行するというかたちになってはじめて意味があたえられることは、すでに述べたとおりです。

こまかな検討はたくさん残っていますが、都市の成り立ちの解明からルールの制定による実践まで、ここで私たちが検討すべき内容としては以上で完結です。

 

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