都市の哲学 田村敏久・著

都市デザインの実践はルールの確立として発動すべきものである理由を説明しましたが、都市の設計といいかえてきた都市デザインの具体的な内容がそもそもの問題です。都市デザインは《総体的な形態的秩序をはかる》こと、あるいは《広範なエネルギーを吸収するシステムをデザインすること》と説明されていますが、前者はその内容について、後者はその方法について言及しています。そこで、まず後者が指示する内容を確実に把捉しておきましょう。

エネルギーを吸収するというのは、都市の環境形成にかかわる人間のさまざまな活動を有機的に組み合わせて有意義な全体の構成にみちびくことですから、そのための方式(システム)を立案する(デザインする)ことが、すなわち都市デザインだということになります。それを具体的に展開するには、《システムを構成する基本的骨格として、デザインストラクチャを提示》する必要があるわけですが、デザインストラクチャについてはあとで触れます。

問題は、《総体的な形態的秩序をはかる》ことと説明される都市デザインの内容にあります。そこにいくまえに、建物の形態的秩序を扱うことが都市についてなにを扱っていることになるのかを明確にしておいたほうがいいでしょう。というのは、形態的というと、建物の外見だけを問題にする表面的なものとみられがちですが、ほんとうはまったく逆だからです。

建物はかならずひとつの形態をもった物としてあらわれます。それを形態として強調することは、建物を内部から捉えるのではなく、その外部から、つまり建物の外部に形成される場所を、そこに生きる人間の立場から表現することを意味します。都市の建物の外部に形成される場所について、もはやここで言葉を重ねる必要はないと思いますが、それは都市の人間にとって環境そのものにほかなりませんから、環境という言葉をつかいますと、建物の総体的な形態的秩序とは建物の形態を問題にしているようで、じつは都市の環境に言及しているのであって、したがってそれは都市の本質的な問題であったわけです。本質的というのは、都市の人間の場所はまさに建物の具体的な形態によってつくられているという意味でもあります。

ついでに、ここで予想されるつぎのような偏見を打破しておきましょう。都市の環境を問題にするよりも、都市の物的な整備をつつがなくすすめることが、都市デザイン、というより都市計画のほんらいの役割ではないのか。都市の物的整備とは、道路、上下水道、ガス、電気、ごみ処理施設、さらには学校や集会所などの公共施設等を整備することですが、わが国の都市計画の現状がいまだこのレベルにあるのはなげかわしいことです。もちろん安定した文化的な生活を送るためには、これら物的な整備を図ることが不可欠なのはいうまでもありません。しかし、それらの整備を図ることが都市計画の本来的な役割といえるのかさえ分明ではないというのが実情なのです。どうしてでしょうか。

それら物的なものの整備が、現地からの要望に答えることを唯一の根拠としてすすめられるかぎり、その作業はほんらい都市計画とよべる代物ではありません。都市における物的整備の展開を、都市の環境の形成という監視下におかなければ、それらは逆に都市の環境を悪化させることにつながりかねないからであり、そうなればそれらは反都市計画とよばれてもおかしくないからです。これが杞憂にすぎないかどうかは、わが国の都市の現状をつぶさに観察すれば明らかなはずです。これまで、現地からの要望にしたがってどれだけ道路を整備する必要性が叫ばれ、その結果、どれだけ環境が破壊されてきたことでしょうか。

都市を構想するうえでの基本的な作法は、まず都市の環境を明確にえがくこと、そのうえで都市の環境をかたちづくる面からの必要性にしたがって、個々の物の整備をすすめることです。この第一の段階が欠落したままで物的な整備をすすめても、それは都市の環境によい結果をもたらすとはかぎらず、また悪い結果を及ぼすのを防げませんから、都市計画とよばれるに値する作業とはいえません。

そうした問題意識から発想されたのが都市デザインです。したがって、都市デザインは都市の環境を問題としてとりあげ、ありうべき都市計画の根幹をになうものにほかならないのです。

 

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