都市の哲学 田村敏久・著

自動車利用の目的が呪縛となってしまう過程、また自動車のアクセシビリティが一定限度を越えられない実情を見てきた私たちにとって、もはや自動車利用をその内部から点検するのではなく、その外部に立って全体を俯瞰する超越的な観点から捉えるべきときが来ているようにも思われますが、それを引き止める偏見が現状にまだ残されていますから、ここでその偏見を打破しておかなければなりません。

そのいまだ自動車利用の内部に閉じ込めようとする偏見とは通過交通であり、またたとえばセルシステムのような考え方です。正確にいえば、通過交通の排除によって成り立つとされているのがセルシステムであり、そこでひとつひとつのセル(セルとはcell、英語で「細胞」の意)となる地域は居住環境地域と呼ばれています。居住環境という言いかたが出てきたように、通過交通であれセルシステムであれ居住環境地域であれ、それらは自動車交通によって都市の居住環境が荒廃している、また荒廃しかねないという反省的な意識的な見方に立って、自動車交通を制御して都市の環境をまもろうとする発想にもとづいているといえます。

だがしかし、通過交通というものがあって、それが交通の鎮静化を阻害し、結果、居住環境を悪化させているといわれても、自動車交通そのものの影響はだれの目にも明らかだとはいえ、都市のおおくの人間にとっては与かり知らぬところですし、また通過交通を問題にして交通の鎮静化が実現されたこともないのですから……現実化したセルシステムは通過交通の排除とはべつの原理によっています……、通過交通、セルシステム、居住環境地域、これらはほんらい放っておいて実害のないものですし、ほんとうのところたんなる幻想にすぎません。

ところが都市の切迫した自動車交通をまえにして、その解決を真剣に考える論者がきまって持ち出すのが通過交通でありセルシステムなのです。じっさい認識の程度を深めないうちはこれら以外のものを口にすることは不可能だとはいえ、こうして都市の自動車交通の問題がいたずらに複雑化され、解決の道がねじ曲げられている現状を看過するわけにはいきません。どうしても、ここでその正体をあばいておく必要があります。そうして私たちは身軽になって思考のスピードを高めるべきです。

話の根幹にあるのは通過交通という代物ですから、はじめに通過交通に端的に切り込むことにします。それでは通過交通とはいかなる交通なのでしょうか。

結論からいいますと、通過交通は幻想の産物にすぎません。すべての交通は通過交通だといえば通過交通であるし、また通過交通といわなければ通過交通ではないということがその理由です。

といっても通過交通を定義するのがむずかしいわけではまったくありません。地図上を線で囲めば、そこは地域となります。通過交通はこうして定義される地域と不可分の関係にあり、地域を通過するだけの交通、つまり地域内で発着することのない交通がその地域にとっての通過交通であるわけです。

ところが地域を設定する方法は無限にあります。そのどれが正しい方法であるかを判断する根拠がどこかにしめされているでしょうか。しめされていません。都市の現実からの抽象としてなら地域をいかようにでも設定できますが……それはつまり、たとえば建物の形態に注目して、高い建物が密集している地域とか、建物の用途に注目して、店舗が集積している地域とかをいう場合です……、そうでなければならないというかたちで、地域を設定する根拠がしめされているというのではまったくないのです。

そうであるなら、最小から最大までの地域の設定方法に対応して、そのぶんだけ通過交通があるということになります。地域というなら、そのなかに建物と道路がふくまれていなければ話になりませんから、最小の地域とはたとえば道路をはさんで対向する二つの建物をくくる場合です。このとき、その道路を通過する交通のうち対向する二軒の建物に用事のある交通以外の、ほとんどすべての交通が通過交通ということになります。また最大の地域とは、たとえば海でかこまれた島の全域を考える場合です。このときすべての交通は通過交通ではありません。

通過交通について、またさらに複雑な状況が想定されます。最小の地域であっても、それが行き止まり状の道路の先端に位置する場合は通過交通はゼロですし、ひとつの都市全域を地域として設定しても、幹線道路に面して発達している都市であれば、都市内部の交通のほとんどは通過交通かもしれません。

これ以上、通過交通について詮索する必要はないでしょう。地域が無限にあるということは、地域はあるといえばあるし、ないといえばないということです。したがって通過交通も、あるといえばあるし、ないといえばないのです。ですから地域は幻想の産物にすぎませんし、おなじく通過交通も幻想にすぎないのです。

しかもこの不可欠の帰結として、通過交通のない地域はどの都市にも現にそれなりに存在していますが、地域を設定するあらゆる方法に対応して、そうした地域によって都市を覆いつくすことの不可能性が説明されてしまいます。これについては次にくわしく説明しましょう。

 

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