都市の哲学 田村敏久・著

その混雑度がたんなる偶然の結果でないのは都市の現状を観察しても明らかです。多少のばらつきはあるとはいえ、それぞれの街路がそれぞれ一定の混雑度で混雑している状況が日々繰り返して観察されるからです。

ここであらためて私たちはなぜ自動車を利用するのかを反省してみる必要があります。もちろんそれは自動車が便利な移動手段だからです。便利だから自動車を使い、便利でなければ使わない、単純なようですが、こうなるのは人間の理性の働きを経由してのことです。動物の生態を観察すれば明らかなように、理性を働かせなければこうはけっしてなりません。

ところで便利だから自動車を使い、便利でなければ使わないという一見単純な反応をごく自然なものと見なすこと自体が、ごく自然なことであるわけではありません。便利でなければ自動車を使わないといえるのは、べつの移動手段を人間は持っているからです。ところが建物から建物へ大量の重たい荷物をトラックで運ぶ場合などは、べつな移動手段があるとは到底いえませんから、こうした交通のアクセシビリティにたいする反応は乗用車を運転する場合とはまったく異なっています。じっさいトラックの運転手たちは、無益な混雑を避けようとするのは当然としても、道路が混雑していようといまいとトラックを運転して物を運ぶ以外にないわけです。

一般の乗用車の乗車人にとってべつな移動手段とは、たとえば地下鉄、電車、モノレールであり、またより普遍的なものとしては、おなじ自動車とはいえバスやタクシーであり、そしてその根本に据えられるべきなのは、もちろん人間の歩行です。したがって、自動車(ここで想定しているのは一般の乗用車です)が便利であるかどうかは、自動車とはべつなこれらの移動手段との比較によって考量されることになります。自動車を利用するなら、それはたとえばバスよりもタクシーよりも地下鉄よりも、そして歩行よりも便利でなければならないのです。

ここまでくれば全体の構図がおぼろげながら見えてきたはずです。こまかい話はあとでするとして、いまはその輪郭を大胆に浮き彫りにしておきましょう。

人間が自動車を利用するかどうかは、ほかの移動手段との比較によって判断されます。自動車がほかの移動手段より便利であれば自動車を使いますし、便利でなければ使いません。となれば、(1)自動車のアクセシビリティは、ほかの移動手段が実現するアクセシビリティより低下することはありえないことがわかります。人間の理性が、そのことを必然的に選択するのです。

これを逆から表現すれば、道路への自動車の過度の集中によって自動車のアクセシビリティがほかの移動手段が実現するアクセシビリティを下回ったとき、道路に出現する自動車は減少して、(2)自動車のアクセシビリティは必然的に、ほかの移動手段が実現するアクセシビリティまで上昇するということになります。

さらに重要なのは、そのとき(3)自動車のアクセシビリティは、ほかの移動手段が実現するアクセシビリティを越えて上昇することはないということです。なぜなら道路に出現する自動車の減少によって、自動車のアクセシビリティがほかの移動手段が実現するアクセシビリティを上回る事態になれば、そのことを知った自動車が道路にふたたび出現して自動車のアクセシビリティは低下し、その傾向は自動車のアクセシビリティがほかの移動手段のアクセシビリティと等しくなるまで続くことになるからです。これらがいずれも人間の理性的な判断によって現出する事態であることは説明するまでもないはずです。

(1)は自動車利用についての、いかなる条件のもとでも妥当する普遍的な原理です。自動車が少ないうちは、これだけで自動車利用の実態を説明することができますが、自動車が増加して、自動車の道路への集中度合いによって自動車のアクセシビリティが左右される状況が招来されると、(2)(3)の原理が働いて自動車のアクセシビリティが決定されることになります。もちろん、現状の都市に働いている原理は(2)(3)です。

自動車のアクセシビリティはほかの移動手段が実現するアクセシビリティを下回ることもなく、上回ることもないというのは、つまりそれはほかの移動手段が実現するアクセシビリティと同程度のアクセシビリティとして決定されるということです。道路の状況に関係なく自動車が一定のレベルまで混雑することになる状況は、こうして説明されます。つまり道路がいかなる状況にあれ、そこでの自動車アクセシビリティは、ほかの移動手段が実現するアクセシビリティの反映として決定されるのを免れないのです。

この結論は都市の自動車問題に具体的な解決の方向を指示するだけのインパクトにみちているように思われます。たとえば、自動車のアクセシビリティを向上させようとする道路の改造……その一般的な方法は道路の拡幅です……がもたらすのは、じつは自動車のアクセシビリティの向上ではなく、既定の限度内のアクセシビリティを持つ自動車の量を増加させることにすぎませんし、またさらに、自動車のアクセシビリティの向上をほんとうに願うのなら、その実現は自動車以外の移動手段のアクセシビリティを向上させることによってしかもたらされないのです。

 

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