都市の哲学 田村敏久・著

そこで、建物の部屋は空間として、つまり立体的な場所としてどのような構造をしているかを調べてみましょう。これが私たちにとってむずかしいわけではありません。つまり、すべての部屋に共通の事態として、そこは床と壁と天井によって構成されています。言い方をかえれば、そこは床と壁と天井という明確な三つの要素に分解して捉えられます。部屋が床と壁と天井からなっているのは、人間がそれらをそうとして、つまり床を床として、壁を壁として、天井を天井としてつくったからでしょうか。もしそうなら人間の恣意的な活動が空間の構造を決定しているということになりますが、いうまでもなくまったくそうではありません。

人間が部屋をつくろうとするなら床を壁としてつくるなどできない相談です。この事情を注意深くながめれば、そこに重力という地球上の物体にあまねく作用し、その存在方法を規定している力を発見することができます。床は物体の重量をささえます。このため床は水平であることがもとめられます……斜めの床はすべりますから……。壁は鉛直面を構成し……斜めの壁はささえるのに余計な力がかかりますから……、人間の視界をさえぎり、直立して歩行する人間と物体の移動を遮断します。(さらに注意深くなれば、水平、鉛直、直立、また斜めという概念そのものが、重力によって定義づけられていることがわかります)。

こうして床と壁は重力によってその発現の方法が規定されている実情を理解することができます。人間が建物をつくれば、その内部の部屋を構成する床と壁は、どうしても床は床として、壁は壁としてあらわれる以外にないのです。ここでの床と壁は人間の恣意的な活動の産物ではなく、建物と人間の関係のなかにあらわれた、重力という地球上の物体に作用してその存在方法を一元的に規定している原理の具体的なかたちと考えることができます。とすれば床と壁は、室内の空間だけでなく屋外の空間にもあてはまる、空間を構成する普遍的な要素であるはずですが、この点は屋外の空間を取り上げるところでじっくり検討しましょう。

ところで天井についてはどうでしょう。通常、建物内部の天井(を構成する材料)は屋根や上階の床からつり下げられることによって、天井としてあらわれています。天井も床や壁とおなじく重力によって存在の方法が決定されているとはいえ、天井が発現するこの方法は床や壁のそれとはちがっています。床や壁の場合、重力があるから(重力に対抗して)そうならなければならないというかたちですが、天井の場合は、重力があるから(重力を利用して)こうなった、という具合です。つまり床や壁は、重力によってその発現方法が一元的に決定されているのにたいして、重力を利用する面で変わりないとはいえ、天井の場合はそうなっていません。たとえば重力を利用するうえから、天井が水平である必要はまったくないのです。

具体的な作用という面からも両者のちがいが指摘されます。床と壁はそこに収容される物体の三次元方向の移動を制限する実体的な役割を担っているのにたいし、天井は物体(空気とかは除きます)の移動とは無関係です。これらを勘案すると天井は床や壁とずいぶんちがっているようにみえます。

天井が空間に存在する物体に実体的に作用することがないからといって、空間の現出のしかたに、おなじく天井が作用することがないというのではまったくありません。それどころか床や壁とははっきり異なる方法で、天井は空間の現出のしかたに決定的にかかわっています。ひとしい形状の床をもつ部屋が、天井の高さのちがいによってどれほどちがう空間になるか想像してみてください。私たちはそのありさまをはっきり思い描くことができるはずです。このことは、空間の現出にさいして人間の感覚に作用する天井の働きが、それほど明確なものであることをしめしています。

しかし空間の現出にさいして、天井が単独で機能していると考えるのは早計です。天井の高さとはすなわち壁の高さですし、天井の形状とはすなわち床の形状です。壁があり床があるから天井があるわけで、天井は始めから床や壁と不可分の関係にある存在だったのです。

そろそろ話が複雑になってきました。天井が問題の焦点になりそうな気配が漂ってきたところで、ここで一旦視線をずらして屋外の空間にスポットをあてておきましょう。

 

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