都市の哲学 田村敏久・著

私たち自身の反応を分析して得られるこの知見を敷衍すれば、場所と人間の関係について多くのことを引き出すことができます。

まず第一に、建物Aの不在に気づかすに見過ごすことがほとんどありえないというのは、自分の場所を察知する作業がとぎれることなく継続して行われていることをしめしています。自分の場所を知らないままにそこに存在することはありえないというところまでなら、経験上、私たちは常識としていえますが、人間が場所を察知することの不可避性はこうして明らかにされます。場所の察知が不可避的に継続されている事実は場所と人間の関係の根底をなすものです。

つぎに建物Aの不在によってびっくりするという事態を考えてみましょう。びっくりするというのはいろいろありますが、ここでのそれは単純なびっくりではなく私たちの存在そのものにかかわってくる反応としてあります。その意味するところは、びっくりした状況から立ち直れないならどうなるかを想定したところから明らかですが、そこで話の流れを場所の察知という面から光を当てながら整理してみます。

通い慣れた通りを歩く私たちは、見知ったいつもの場所を察知するために建物Aを見ようとします。しかし見ようとした建物Aは存在せず、そのため場所はいつもの場所とはちがうすがたで現れていて最初はびっくりしますが、あたりを見回してそれがいつもの場所の部分的な変化をあることを知り、納得してびっくりした状態から立ち直ることができます。

ここからまずいえるのは、場所の察知は一瞬のうちになされるということです。それはつまり、場所の察知にかんして、一瞬のうちにびっくりするという事実から説明されます。察知された場所が以前の場所とちがうから、私たちはびっくりするのです。このことはまた、場所の察知が一瞬になされる機構を明らかにする必要性を指示しますが、それは場所の構造を解明するところでしめされるはずです。そのヒントとなる点をここで挙げておきますと、場所の察知に動機づけられて建物Aを見ようするのは、けっして建物Aをじっと見ることではないということです。それどころか、見ることの中身を反省すれば、ひとつのものをじっと見ているうちは、場所を察知することは到底できないというのが私たちの実態です。いずれにしろ場所を察知する機構は後段で明らかにされます。

察知した場所について続く点は、私たちはびっくりしたままでいるわけには、どうしたっていかないということです。場所を自分の場所として納得して受け入れることができなければ、私たちは場所についての詮索を止めることができません。場所を自分の場所と納得して受け入れることが要請されるのは、たんにそこが経験したことのない場所だからではありません。そこがどういう形態の場所なのか、簡単にいうなら、狭い場所、広い場所、高い壁で囲まれた場所、低い壁で囲まれた場所というようなかたちで表現される場所の形態を把握して、そこを自分の場所として承認することができないうちは、私たちは自分を支えることができないのです。

 

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