ブキャナン・レポート

   
 ブキャナン・レポート

  

 正式名「都市の自動車交通(TRAFFIC IN TOWNS)」。1963年にイギリス政府が2年間にわたる調査結果として発表したもの。研究グループ委員長コーリン・ブキャナン氏の名をとってこう呼ばれる。日本語版は1965年、東大教授八十島義之助・井上孝共訳で鹿島出版会より出版された。
 徹底した内容は敬服に値するが、その読みにくさも並大抵ではない。わが国において、たんに学問としてではなく実践の理論としてどれほど読まれたのだろうか。すくなくとも地方自治体レベルで読みこなした人間が皆無に近いのは体験から言える。
 内容でもっとも重要なのは第2章理論的基礎にあり、セル・システムと呼ばれる原理がここに表明されている。しかしその原理が実のところ循環論法の産物に過ぎないことは自著で明らかにしたが、本サイトの読者のためにその概略を説明しておこう。
 レポートは自動車交通をたんに自動車の流れと見るのではなく、通過というフィルターによって分別する。すなわち居住環境地域とは通過交通のない地域のことであり、これを都市の細胞(セル)に見立て、居住環境地域で都市を覆い尽くせば、すなわち居住環境が守られた都市が出来上がる、これがレポートの理論である。自動車の流れはあまりにもとらえどころがないから、通過という概念をキーワードにしなければ手に負えなかったのは理解できるとしても、その浅はかさもまた現代においては指摘されなければならないのである。
 通過も地域もあるといえばあるし、ないといえばないものだ。通過についてなら、ひとつの島には通過交通は存在しえないし、自宅前道路の交通はほとんどが通過交通であろう。地域もまた地図上でのみその姿を現すが、そのくくり方はくくる人間の頭に依存しているだけで、地域と言おうが現実には何の変化もない。
 こうした無意味さは自動車の側から見ればなお一層明瞭になる。自動車の運動とは、とどのつまり出発点から目的地に向けて最も便利な道路を選択して移動している、この一点に尽きるのであり、場所により便利さはいろいろあるとしても、自動車を利用しているのが遊び人なのか商売人なのか哲学者なのか、また走らせる場所の道路体系がいかなるものなのかは一切関係ない。
 通過交通があるというから通過交通がないと言えるのであり、通過交通がないという根拠は、通過交通があると言った自分にしか求められない、こうしてレポートの居住環境地域は瓦解し、雲散霧消してしまうのである。(この端的な例は、レポートの居住環境地域を作り出す道路体系図において、居住環境地域地域を示す点線の囲いを地域の半分だけ移動してみればいい。そのとき、通過交通に守られた居住環境地域は、通過交通にもっともさらされた地域になってしまう!!)。
 レポートの理論は破綻しているけれども、自動車交通にまみれた都市を構築する原理がおおやけに認知される状況にいたっていない以上、その歴史的役割はまだ終わっていない。批判的に読み解く人間がどれだけ増えるかがわが国の都市の未来を握っている。

追記:
 レポートの失敗がすなわちセル・システムの無効性を示しているわけではない。セル・システムとは複雑な現実を理解し整理するためのひとつの枠組み・方法であって、セルとは何か、何をもって有意なセル(細胞)と見るかが本来の問題である。というより、セルと捉えて問題を整理・展開する必要性が生まれたときに、はじめてセル・システムが話題になると言うほうが正確だろう。
 歩行者専用道路の必要性を論じる観点からは次のようにしてセルが生まれてくる。歩行者専用道路→ 歩行者専用道路のネットワーク→それを支える自動車道路のネットワーク→ 自動車道路で囲まれた歩行者専用道路を持つ地域(=セル)

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目次:第1章概要、第2章理論的基礎、第3章実際的研究、第4章実例にあらわれた幾つかの課題、第5章一般的な結論