街路研究会

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プッリャ州の歴史

バーリ Bari

「アドリア海に面し良好な海港を持つバーリは、古代にはギリシャの植民地となり、当時はBarium(バリウム)と呼ばれた。後、ローマの商業の中心地となり、1071年にはノルマン人により征服されて両シチリア王国の支配下に置かれ、第二次世界大戦中はイタリア海軍の主要な基地となって、1943年、ドイツ空軍に空襲され港湾施設に多大な損害を受けた。」(wikipediaから抜粋整理)
 さらにwikipediaを繙くと、バーリ旧市街地はつい最近まで、その治安の悪さからバーリ住人にとって立ち入り禁止区域だったそうな。つい最近がいつなのか不明として、イタリア人写真家から大仰なカメラ携帯での立ち入りを感心されたわけで、思い返すとそうだったのかと納得するところがあります。あちこちであやしいお兄さん方の鋭い視線を感じましたから。しかし近年は新しい下水処理システムの導入とふたつの主要な広場の整備が行われ、バーリ住人、観光客双方にとって環境は大幅に改善されたとのことです。
 すでに書きましたが、バーリ旧市街地は驚きの街でした。住人同士が普段に触れ合う場を喪失した日本、そこでも家に閉じこもることが多い筆者にとって、たんに刺激が大きすぎたということかもしれませんが、そればかりではないようです。
 あまりにも濃密な、普通の日本人なら窒息しかねないほどの濃い人間関係があり——それはいわば人間の水平方向の広がりの大きさと、それらが相互に重なり合う濃さと表現できましょう——、一方で精神の垂直上昇をうながす純粋無垢な聖なる空間が活き活きと存在している、そのダイナミックレンジ([横]×[縦])の大きさと豊かさに驚愕し感激したのです。
 実際、「すげー、すげー」とつぶやきながら街路を撮影していて最初に入った小さな教会(カルミネ教会)、その内部空間の透明な美しさと清らかさは想像を絶していて、体はしびれ、言葉を失ってしまいました。この教会は乳児院が繋がっていて——というより教会の付属施設を乳児院にしていたのかもしれませんが——、とても立派な玄関でしたので最初そちらに入ろうとしたところ、園長とおぼしき優しい修道女に「ここは乳児院でだめ、でもとなりの教会を見ていきなさい(多分)」と教えてもらった教会です。こうした経緯もあって、カルミネ教会は印象に深く刻まれています。
 こちらが勝手に驚いていてもはじまりませんし、久しぶりの海外旅行で興奮していたというのもあるかもしれません。写真をごらんになって皆様はどうお感じになるか、筆者の言葉を半分に受け取って冷静に見ていただければと思います。
 ところで写真を見ていただければなおのこと、バーリ旧市街地の交通システムがどうなっているのか、気になるひとがいるかもしれません。出発前になんとかネットで探しあてた地図がありました。これをGoogle翻訳(この翻訳機能は本格的です)を使いイタリア語を訳してバーリ旧市街地交通システム図を作成してみました(建物も細かに記載されています)。
 もともと自動車利用にマッチする街路形態ではまったくありませんので、システムを構築するのは大変だったろうと思います。細かな規制内容に工夫のあとが伺われます。小さな疑問、でもバーリの人は本当にこの細かな規制に従っているのでしょうかね。

*写真番号のハイフン以下8桁の数字は、撮影の月・日・時・分(現地時刻)を表示しています。